純喫茶みかづき

ほっとしたい昼。眠れない夜。常時、開店中です。

ドラマティック・レイン

もはや日本が日本という国をやめようとしているとしか思えないような雨が、
ここのところ実によく降った。
バケツをひっくり返したような、なんてよく言ったものだったが
バケツどころじゃない、
世界中の川の水を集めて一気に落としました、みたいな雨である。

そんな中でのちょっとした出来事をここに描き落としていこうと思う。

 

 

少女漫画だったらおそらくときめきイベントなのであろうが
私にかかるとこうなってしまう。
わずか30秒ほどにすぎない出来事であったが、
最後には彼と私の間に、友情に似たなにかしらの絆が生まれていた。

突然の雨はドラマを生んだ。
人と人が関わっていくかぎり、
ドラマはいくらだって生まれるのである。

バーニンバーニン、俺の昼だよ

「もえ」
ふと、ふすまが開く。
「今日は俺が昼ごはん作るから」

 

土曜のお昼前。
中学一年生になったばかりの私は、
初めての定期試験へ向けてむつむつと勉強しているところだった。

「え!?」私はびっくりして振り返った。
「いいの?」

 

焼きそばでいい?
兄は、優しいまなざしを向けて言った。

妹をねぎらおうという兄心。
何より、兄の作るお昼ごはん。
その楽しそうな提案に、私はひとくちで乗った。

当時高校生だった兄。
野球部に所属し、昼夜練習に明け暮れていた。
朝、野球。
夜、野球。
休日も早朝から晩まで、野球。
あまりのハードさに、
授業中に激しい寝息が響き渡っても、
教師が振り返ってそれが野球部と知るなり
「寝かせといてやれ」と言ったというのはあまりに有名なエピソードである。

 

兄はその中にあって、勉学も怠らなかった。
ゆえにそんな彼が台所に立つ機会など、皆無であった。

 

 

 

「ア゛ーーーーー!!!!!」

 

 

台所から兄の悲鳴が聞こえる。
私は電光石火で立ち上がり、台所へかけつけた。
「どうしたの!!」

兄は狼狽しきって、言った。

 

 

「やべぇ、野菜、燃やした!」

 

 

 

兄上の炎上クッキング。
バーニング、ベジタブル。

 

 

ばかだった。私がばかだった。
楽しそうな提案なんて、のんきに構えていた私が、ばかだった。
兄が一人で台所に立ったことなんて、いまだかつてなかったじゃないか。
フライパンの中にあるのは、もはや焼きそばじゃない。燃えそばである。

 

兄妹ふたりで文字通りの火消しに回り、
生きながらえた野菜の切れはしをかき集め、
少々遅めの昼食とあいなった。

「だいじょうぶ、おいしいよ」
大量の炭を皿の脇に寄せたまま、私は言った。
「なんとか食えるな」
兄もやや真顔で言った。

冗談抜きで、やっぱり、
だいじな人の作ったごはんって、二割増しでおいしく感じると思う。

 

 

 

そんな兄も進学で上京し、
5年後にはカレー作りをマスターしていた。
受験のため上京した私に、夕飯として振る舞ってくれたのである。
「おにいちゃん、すごい、おいしいよ」
ちゃんとおいしい、と私はもはや感涙、という勢いで言った。
「あんな、野菜、燃やしてたのにね」

兄は「最近燃やさなくなったよ」と、笑った。

 

 

それにしても、炎上クッキングといい、ジーパン殉職といい、
どうしてこうも私たち兄妹は同じ失態に見舞われるのだろう。
次は共にいったい何をやらかすのか。
少々先が思いやられる二人である。

ペパーミント伝説

ムズムズする。

何がって、花粉の話である。

 

 

私はおよそ10年前、
大学卒業を間近に控えた3月、
突如として花粉症を発症してしまった。


「いやー、デビューしちゃったってやつですね」
目玉が狂おしいほどかゆくなり、
ついには角膜が卵の白身のようにアコーディオンカーテン化した私を前に、
スツールをクルクルもてあそびながらアッサリと言い放つ医師に
憎しみに似た感情すら覚えたものである。

 


いやー、今年はひどかった。
去年の7倍はひどかった。体感で。
ひどかったついでに、
同じくひどかった年のエピソードを思い出していた。

 

 

去年、おととしと平気だったところを見ると、
あれは3年ほど前のことだろうか。
3月半ばも過ぎ、
例によってくしゃみ、鼻水、目のかゆみのオンパレードの私を不憫に思った先輩が、
アロマコーナーへ行っておいで、と言うのである。
うちの店では精油エッセンシャルオイル)を扱っているのだが、
先輩はまさにそのコーナーの担当者であった。

 

「花粉症に、ティートリー、ペパーミント、ユーカリあたりが効くらしいよ。
 マスクに垂らして着けると、少し楽になるかも」

 

レジは私が見てるから、と先輩はそっと肩を押してくれた。
先輩。ありがとう。なんて優しいのですか。
私は感謝いっぱいにうなずくと、アロマコーナーへ走った。
ペパーミントなら、大好きな香りである。
売場に着くなり、迷わずペパーミントのテスターを手に取り、
私は思いっきりマスクの内側へオイルを振りかけた。

 

 

これでもう、私は無敵・・・

 

 

レジへ舞い戻り、
そう信じて、マスクを装着した、次の瞬間。

 

 

 

劇薬。
ペパーミントオイル、劇物でしかない。

 

もう、マスクの中でのペパーミントの反乱がすごい。
無敵なのは私じゃなくてペパーミントのほうだった。
私はしばらくカウンターでのたうち回り、
あえなくバックルームへ逃げ込んでいく始末であった。

 

 

 

ちょうど最近日常にアロマオイルを取り入れ始めて気づいたのだが、
ペパーミントは、けっこうパワフルな精油なのである。
1滴でそこそこのパワーを放つオイルとでも言おうか。
実際、取扱説明書にも“刺激性のある精油”に名を連ねている。
8畳の部屋に対し、ディフューザーに2,3滴も垂らせば十分。

あのときマスクという小さな世界に対し、
たしか4,5滴ほど振ったと記憶している。
先輩もまさかそこまで振りかけるバカがいるとは夢にも思わなかったのであろう。
そりゃあ、もだえ苦しむわけである。

 

 

以来“マスクへ精油”は恐怖体験となり、いまだ実行できずにいる。
今年の私の症状はピークを越え、落ち着きつつある。
来年こそ試してみたいところであるが、
今年同様の飛散量になることを祈りたいとも思えず、
なんとも悩ましいところなのである。