彼とパジャマと私
パジャマの話で思い出したことがある。
大学4年生の頃、卒業論文のテーマに悩み、図書館で本を読んでいたときのことだ。
「よぉ、お疲れ」
顔を上げると、ゼミの同期が本を小脇に立っていた。
「おー!そっちも卒論準備?」
「んー、俺はちょっと息抜きに」
彼は向かいに腰を下ろすと、私のノートをまじまじと見て「えらいね」と笑った。
「えらくないよー、なんかもうぐちゃぐちゃになってきたもん」
「いやーえらいよ。俺なんか関係ない本読み始めちゃってさ」
またまた、ご謙遜を。私は笑った。
彼は私たち同期の中で、いち早く卒論の指針を定めた男だ。
なかなか斬新なテーマ設定で、見通しもはっきりしていた。誰よりもリードしていた。
彼が選んで読む本だ、間違っても研究に無益なものではあるまい。
彼は嬉しげに一冊の本を差し出した。
「今、これ読んでてさ」
思った以上に関係なかった。
おまえ研究テーマ創造性とかなんとかじゃなかった?
しかし意表を突くテーマにがぜん興味をそそられ、私はうっかりこう尋ねた。
「何それ、おもしろそうだね。どんな本?」
彼の瞳がキラリと光るのを私は見逃さなかった。
「いやパジャマってさ、本当に重要なんだよ!」
彼はせきを切ったように話し始めた。
「パジャマって大事だよ」
「なにしろ寝るときのために作られた衣服だからね。心地良く眠るために最適な作りになってるんだよ」
「これ読んで俺思わずパジャマ買いに行っちゃったもん」
「やっぱ違う。疲れの取れ方が全然違う。パジャマってすごい」
「見てこのグラフ。パジャマの有無でこういう違いが」
「パジャマが睡眠にもたらす効果は」
「そもそもパジャマは」
「パジャマってほんとに」
「ていうかパジャマって」
「パジャm」
彼はひたすらパジャマについて熱く語って帰っていった。
あとには、私と戸惑いだけが残された。
以来、パジャマというワードで私は彼のことを思い出す。
彼がパジャマについて語った時間に、卒論準備へのメリットは皆無だったけれど、おかげでパジャマの素晴らしさを再認識することができた。
「質の高い眠りは、良いパフォーマンスを生むためにとても大切」という知識も、初めて得たのは彼からだっただろうか。わからない。
ただ、人生で出会った誰よりも、パジャマのことを熱く語っていたことは確かだ。
ちゃっきー、元気かなあ。
今もお気に入りのパジャマで快眠できていることを、願ってやまない。