ネバーエンディング・ストーリー
クリスマス、クリスマスさえ終われば。
クリスマスまで、耐えしのべば。
トンネルの向こうにはやっと、光が見えるはず。
そう、その、はずだった。
我が雑貨店は年に数度、ギフトラッピングによる繁忙期を迎える。
卒業・お別れシーズンの年度末がトップを守り、
次点はおそらく、クリスマスである。
「終わった…」
25日の夜、先輩が通用口を出た瞬間、つぶやいた。
「終わった~~~~!!」次の瞬間には、叫んでいた。
「お疲れさまでした~~」
「いやーーやっと終わったよ、、終わったね、、」
「キツかったですね今年」
「なんだろ、やっぱコロナで遠出を控えるかたが多いからかなあ」
大幅に延びた閉店ののち、
へろへろになった身体にムチ打って、クリスマス商材を残らず撤去する。
ヒイラギ飾りや、ツリーや、ポインセチアの花飾り。
すべて整理し終えた頃には、もう今すぐにだって眠れる状態だった。
終わったね、がんばったね、お疲れさま。
笑い合って、ねぎらい合いながら帰る、みんなの帰り道。
その笑顔には、そう、もう大丈夫だと。
そんな確信に基づく、安堵の色が浮かんでいた。
だいじょうぶ。もう、祭りは終わったから。
明日からは、大丈夫。
いつもの私たちの店。
年末はどうせ、ヒマだから。
少なくとも、ここ数週間よりずっと落ち着いた状態に、違いないのだから――。
そう信じて歩く、開放感にあふれた帰り道。
その道の先に地獄絵図が待っているだなんて、
あの夜は思いもしなかったのだ。
「ギフトラッピング9番でお待ちのお客さまー!!」
「お買い物に行ってらっしゃいまーす!」
「9番様お預かりで!」
「今何番持ってます?」
「あたし10番です」
「一周したんで1に戻しますね!」
「あ、ラッピングそれじゃなくてこっちが先です!」
祭りは、終わらなかった。
それどころか、クリスマスが前座だったんじゃないかと思えるほどの混みようだった。
昨夜笑顔で歩いた仲間たちに、もはやあの余裕はなかった。
ねえ、これは夢まぼろし?
どうして26日に全員レジに缶詰めになってラッピングしてるの。
どうして皆、金剛力士像みたいな顔になってるの。
毎年12月26日の皆のほどけた笑顔は、どこへいったの。
連勤も後半に差し掛かった私の余力は、もはや無いに等しかった。
私のシフトは、23日、クリスマスイブの前日という
最も過酷な日からスタートして年末まで、
一日を除いてすべて出勤というスタメン出勤である。
こんなポンコツをクリスマス商戦の店に立たせ続けたら
どんな悲劇を生むかは、容易に想像できよう。
結論から申し上げる。
頭が、使い物にならなくなった。
いやおめぇ、それは普段から…という声にもちろん異存はない。
ただどういうことかというと、
私はただでさえ頭の出来は良くないのだが、
それに加えてのろまで、目まぐるしいまでのスピードには、めっぽう弱い。
私に「速さ」を求めると、疲労するというよりは、摩耗する。
結果何が起こるかというと、
言葉が、出て来なくなる。
思考能力が著しく低下し、
トンチンカンなことを口走ってしまうようになるのだ。
一つ目の例は、ギフトラッピング中の出来事である。
箱形のラッピングでは、
「プレゼント」のイラストでよく描かれるように
十字や斜めにリボンをかけることが多い。
その際、切り分けたリボンではなく、
ロールになっているリボンを持ってグルグルと巻きつけていくのだが、
あいにくカウンターにロールのリボンが見当たらなかった。
そこで混乱のさなか、私はラッピング資材置場をガサゴソとあさっていたのだが…
※うっかり表情を描いてしまいましたが、実際はマスクを着用しております
あぁじゃないの店長!!!
なんやそれって言っていいんです!!!
店長は大天使な上に、私の言語を解読してくれる希少なおかたである。
それにしても、貧困になりきった自分の語彙に愕然とする。
リボンひと巻とかさ、新しいロールのリボンとかさ、あったじゃない!!
もうね、言葉が出てこなかった。
これでも、伝えたいイメージを必死に言葉に落とし込んだ、
ベストを尽くしたメッセージだったのだ。
二つ目は、ギフトラッピングのお渡しの場面である。
我が店ではギフトの渡し間違いを防ぐため、
受け渡しの際にお客様へ内容を確認する習慣がある。
「ハンカチと、ハンドクリームのセットですね」などである。
私は、大きめのクマのぬいぐるみをラッピングしたのだったが…
一気に狩猟感。
撃ち落とした獲物のように言うんじゃないよ。
そんな調子で、終わるはずもなかった祭りのさなかに、私たちは今日もいる。
年末、年末さえ、終われば。
そう祈って、すぐに気がつくのだ。
今度は初売りが、待っている。
――闘え、私たち。