純喫茶みかづき

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風と共に去りぬ

前回はじけ飛んだワンピースのボタンについてお話ししたが、
ここに記した「それ以上の理由」についてご説明しようと思う。

 

その理由とは、私の自転車通学の仕方である。

 

中学以降ずっと自転車通学だったのだが、
どうやらそのライディングスタイルたるや
女子の平均的なレベルをちょっと逸したものであったらしい。

 

大学入学間もない頃。
一瞬だけ所属した野球サークルの先輩方に
最寄り駅と、通学手段を尋ねられたときのことだ。

「日向ちゃんチャリ通か。
 そっからだと遠いでしょ。何分くらい?」
「うーん、15分くらいあれば」
「15分!!?」

先輩方は目をむいた。
のちに聞くところによると、
私の居住エリアは所要時間30分の距離だった。

 

大幅な時間短縮はいかにして行われたのか。
歩行者を無視した危険な走行をしていたわけではない。
安全運転は心掛けていた。
ただ考えられるとすれば、
丘の上のキャンパス目掛けて一直線に伸びる坂道。
あのポイントが分かれ道であると考えられる。

 

キャンパスを訪れる学生を、
長く険しい坂道が最後に待ち受けている。
駅伝だったら「心臓破りの坂」などと称されるレベルの坂道である。

それは最後に近づくにつれ急になるという非情な坂であり、
おおかたの学生は、中腹から自転車を引きながら歩いて登っていく。
そこを私はいつも、ノンストップで駆け上がっていたのだ。

「スゲェ…」と男子学生があ然と口にするのが聞こえたときは、
さすがにはずかしく、決して後ろは振り向けなかった。

 

この脚力はいかにして身についたのか。

 

理由はひとつしか考えられない。
高校時代の、バドミントン部の活動である。

 

うちの部のアップは、女子部といえどもなかなかにきつかった。
新入生時代、途中で膝をつく女子が続出するキツさであった。
部員がもはや当然のようにメニューをこなすようになった頃、
あれはラグビー部とまったく同じ練習メニューだったと判明した。
先生はいったい私たちを何に育て上げようとしていたのであろうか。

 

そんなわけでゴリラ級のパワーをつけるべく育成された私は
ロングスカートだろうがワンピースだろうが
自転車通学にその力をいかんなく発揮してしまい、
その頃からの勤労がたたり、
2年ほど前に、耐えかねて、
裾からふたつぶん、ボタンが取れてしまったのである。
左右から交互に力が加わり続けた、ボタン留めのワンピースだ。
当然の結末といえよう。

 

思えば中学生の頃も、
どこかのじいちゃんが運転する軽トラと、坂道を競走した記憶がある。
今でこそ少なくなったが、
とんでもなく平和なスピードで走る軽トラが
ときどき朝の通学路に出現したものであった。

 

もしかして、抜かせるかな。

 

ふと、腕だめしならぬ脚だめしをしてみたくなった私は
ペダルを踏む足に力を込め、
じいちゃんの軽トラを追いかけた。

橋の手前、坂道に差し掛かる。
ぐんぐんぐんぐんと風を切り、
いくつもの木々を追い越して
じいちゃんの白いトラックに迫っていく。

 

そして橋の手前で、無事勝利したのである。

 

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学生服をはためかせ、軽トラを抜き去っていく中2女子。
高校時代には、同じく自転車に乗った変質者を撒いたこともあった。
ゴリラ化はとどまることを知らなかった。

 

雑貨店に勤務する今でも、無駄な脚力は健在である。

忘れ物を届けに、すでに去ったお客様のあとを追いかけるとき。
500円玉が切れかかって、両替機に走るとき。

その姿を見た仲間内から、
いつしか『スプリンター』の呼称を賜っていた。
「まるで風のように走っていく」
「ひたひたと近づく足音で日向さんだとわかる」
以上、同僚スタッフの声である。

 

 

この脚力は、いったい何に役立てればよいのか。
残念ながら今のところうまい見当がつけられずにいる。

 

そういえばいつだかチコちゃんで、
ごちそうさまは、いだてん様、って言ってたな。
人々のために、風の速さで走って食べ物を集めていたって。
そんなふうになれたらな。


まあでも、500円玉が切れるとき
「日向さん!両替お願いします」って真っ先に声がかかるから、
ひとまずは、とりあえずは、いっか。