純喫茶みかづき

ほっとしたい昼。眠れない夜。常時、開店中です。

みんなのひろば

昨日は、2月とは思えないほどに、暖かい一日だった。

 

冬は職員通用口から出るとき
「おまえらはな、暖かかったんだろうけどな、
 ほんとは外は、ずうっとこうだったんだぞ。えいっ」
とばかりに襲い掛かる冷気を覚悟し
身を縮こまらせて扉を開くのだが、
その日は、拍子抜けするくらいにふわりと暖かかった。
全身をやわらかな風が包みこむ。

 

ああ、春が訪れようとしている。

 

BGMは『Winter,again』を通り抜け、
『春を愛する人』へ変わろうとしている。

 

 

あの日も、そんな暖かさだった。

 

 

先日、仕事の前に
ヴィッツ亡きあと新たに迎えた車を車検に出したのだが、
出勤時刻までずいぶん時間が余ってしまった。

 

私は、まんじゅうか何かを買うことにした。
遅番のシフトは中途半端な時間帯で、
向かう前に昼食をとるには早すぎ、
かといって空きっ腹で向かうと低血糖を起こすことがある。
詳細はいつか記そうと思っているが、
現に私は二度、朝礼中に倒れるという惨事を引き起こしたことがあり
以来、遅番には必ず何か口にしてから臨むように心がけている。

 

勤務先の食品売場におもむき、
だんごや大福の並ぶエリアに立ち寄る。
みたらしだんご。草もち。豆大福。
もちもちとひしめき合う中、
『おつとめ品!70円』
の赤いシールに目が留まった。

同業者ゆえ、
おつとめ品がなかなか消化されない焦燥感はよくわかる。
白い大福もちと迷った末、
より在庫数の多かった『吹雪まん』を選ぶことにした。
長イモも入っていて、お腹にもよさそうだし。

ところで白い皮の下に
あんこがまだらに映るこのまんじゅうを
『吹雪まん』と呼ぶのを、このとき初めて知った。
確かに模様が吹雪さながらのようにも見える。
なかなか乙な名前をつけてもらったものである。

 

 

吹雪まんと共に繰り出した外の世界は、
すこんと抜けるような青空で、
冬とは思えないほどの暖かさだった。

 

私は、吹雪まんを携えて、職場のそばの広場へ向かった。

 

日頃、この広場には絶えず人が集まる。
若者たちがラジカセを持参してダンスをしていたり
親子が自転車やサッカーボールで遊んでいたりする。
スケートボード用の平均台ハーフパイプも設置されており
かれこれ20年以上、スケボー愛好者の憩いの場ともなっている。

 

平日の昼前ともあって、
広場はがらんとしていた。
離れたところに、スケートボードに興じる青年が一人だけ、いた。

 

10年前の私であったら
少しおチャラめの若者が一人いただけでも、ひるんでしまっただろう。
ましてまんじゅう持参である。
なんとなく気恥ずかしくて、
そこへは立ち寄るのをあきらめたに違いない。

 

ところが、齢、30。
できたの魔法でも話したとおり、
失うものは何もないような気の据わり方をし始めるのが、この歳なのである。
いわゆる『おばちゃん精神』を会得しつつある私は、
臆せずベンチへ近づいていった。
よっこらしょとリュックを下ろし、
吹雪まんを取り出し、
いただきます、と小さく挨拶をして
ぼーっと虚空を見つめながらまんじゅうを食べ始めた。

 

ああ、暖かいなあ。春だなあ。
こんな陽だまりの中でおまんじゅうを食べられるなんて、幸せだなあ。

 

コジコジのセリフのような感想を抱きながら
私は青年などお構いなしにゆっくりと吹雪まんを食べた。
青年もまた、私のことはお構いなしに
自由にスケートボードを走らせていた。

次第に私は、その状況に
なんとも言いようのない心地良さを感じ始めていた。

 

その場に共にいながら、
お互いに干渉するでもなく、
確かにその場所を共有しながらも、
それぞれの時間をそれぞれに過ごしている。
その距離感が、それが生み出す空気感が、
なんともいえず、心地よかった。

 

おそらく私たちは共にリラックスしており、
自由に過ごしながらも、
互いを少しも邪魔することもなく
同じ空間を共有している。

ああ、なんだか、こういうのって、いいなあ。

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見知らぬ人と、お互いに何も言葉を交わさないけれど、
そこにいていいよと許し合いながら
絶妙な距離感で、同じ空間を共有する。

 

これこそ、みんなの広場なんだ。

 

 

私は、
『新しい生活様式
『ソーシャルディスタンス』
という造語に、激しく抵抗を感じる。
まるでそれが社会的に、真に正しいものであるかのように刷り込まれる危険性を感じるからである。
意図はもちろんわかるし、
人命を守り合うために必要であることに、疑いの余地はない。

ただ、ネーミングが、いかんせん、ちょっと。

せめて
『緊急時の生活様式
『緊急時の距離感』
と呼ぶべきではないかと、近頃つくづく思う。
そもそも、新しいから正しいとは限らないことは、
以前よりささやかれていることだけれど……

 

教育評論家の尾木ママこと、尾木直樹さんも話していた。
「子どもたちは、何も言わなくたって
 進んで近づこうとする、関わろうとする」
それが、人間が本来、心から求めることなのである。

 

 

集まることを禁じられ、
近づき合うことを禁じられ、
それでも人は決して、分け合うことを禁じられたわけじゃない。

 

今この距離感でも、分かち合う方法がある。

 

 

分け合う機会を失われがちな昨今において、
私にとってあの時間は、ささやかな喜びのひとときであったのだ。
吹雪まんを食べ終えて見上げた空は、優しく澄み渡っていた。