純喫茶みかづき

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愛のひと、チャップリン。

人生はクローズアップで見れば悲劇だが、ロングショットで見れば喜劇だ。

   ――チャールズ=チャップリン

 

 

今日は、この言葉を遺したそのひと、
かの偉大なる喜劇王チャールズ・チャップリンの誕生日である。

 

チャップリンについてはきちんと書きたいところなのだけれど、
今回は、またとりとめもなく書いてみようと思う。

 


チャップリン作品を始めて観たのは、確か10歳頃だったと思う。
チャップリンの独裁者』、『モダン・タイムス』
この二本をテレビで兄と視聴し、
コミカルな動きを指さし、ひたすら二人で笑って観た。
この頃私にとって、ただ愉快でおかしいだけの作品は
それでも強烈に、印象に残った。

 

 

再度チャップリン作品にふれたのは、昨年の夏だった。
あらゆる面で行き詰まった私は、
ある日の、もうすぐ日が替わろうという頃、
どういうわけかふと、「良い映画を観たい」と思った。

 

 

そうして真っ先に脳裏によぎったのが、
チャップリン作品だったのである。

 

 

確か父がムダに…いや、
せっせと録りだめをしているDVDコレクションの中に
チャップリン特集』があったはずだ。
私は謎のスペースに放置されたきりのDVDケースをガサゴソとあさり、
その1枚を探し当てた。
そこには、知らずにいたタイトルも名を連ねてあった。
『ライムライト』。
名声。スポットライト。
役者に直結するこのワード。
チャップリンのなんたるかが詰まっているような気がして
私は息をつめて、ディスクを挿し込んだ。

 

 

そうして観終える頃、
チャップリンのとりこになっていたのだ。

 

 

以来、チャップリン作品をとにかく見あさった。
図書館に赴き、彼の初期作品、自伝にもふれた。
チャップリンの生き様、考え方をもっと知りたかった。

 

中でも忘れられない生涯の一本は、
おそらく『街の灯』であろうと思う。

 

この作品についてはまた別に書きたいと思うのだが
観終えて、生まれて初めて
「愛おしさで泣く」
といった心境を経験した。
チャップリン扮する、『小さな放浪者』へ
愛おしさでいっぱいになり、涙がとめどなくあふれ、
むせび泣くように画面の前で泣き続けた。

チャップリンの表情を見ていると、
気づかされずにはいられないことがある。

 

『愛』を知っている人の顔だ。

 

 

作中でチャップリンを見ていると、
彼を語る上で欠かせない『ペーソス』を感じさせる場面でももちろんなのだが
不思議と、彼の笑顔を見ただけでも泣けてくる。

 

その笑顔には、言葉で語る以上の、なんというか
愛情があふれ出ているのである。
愛を知っている人の笑顔だということが一目でわかって、
観る者の心を打つのである。

特に印象的なのは、
実生活で第一子を亡くして間もなかったチャップリン
幼い子どもを題材とした『キッド』で
みなしごである赤子をあやすシーンで見せた笑顔だ。
その目はこの上ない優しさ、慈愛に満ちていて、
彼は笑いかけているのに、こちらは泣けてきてしまう。

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何も見ずに描いたにしては、
なかなかちゃんと、チャップリンらしいじゃないのと自画自賛
これぞ愛の力。

 

 

初めこそドタバタ喜劇を作っていたチャップリンの作風は
30代以降次第に変化していく。
それは、作中の『小さな放浪者』の
キャラクターの変化そのものであり
にっくき奴をとっちめたり、
いたずらしたり、
わんぱく放題だった放浪者が
次第に人々を懸命に励ますシーンが多くなる。

 

「人生に絶望した人を励ます」――
自殺しようとした人を止めるシーン、
泣き出した人の隣で叱咤激励するシーン。
シチュエーションを変えて、
そのモチーフは繰り返し用いられる。
あれは観る者すべてに向けられた、
チャップリンの愛情そのものであると感じている。

 

 

私は比喩ではなく、チャップリンに命を救われた。
あの笑顔に、あの茶目っ気に、
あの愛情いっぱいの心に、命を救われた。

 

だから私も、愛情を誰かに伝えていきたい。
独り泣く人に、寄り添う人でありたい。
明日を生きてみようと思える何かを、
そっと添えられる人になりたい。

 

とりあえずは、私なんかではあまりに微力だから、
そんな大きなことはとてもできないけれど、
そんな私でも確かにできることは、
チャップリンの映画を勧めることなのである。

皮肉にも昨今、
チャップリン作品を
「観なければならない」世界になってしまっている。
人間の世界は、途方もないほど長い時間、
ずっと同じことを繰り返しているのだ。

 

 

生きることに絶望したとき、
どうか思いとどまって一度チャップリンを観てほしい。
あの瞳に、出会ってほしい。

なんにせよ、
あの愛を知ってからでも、遅くはないから。