純喫茶みかづき

ほっとしたい昼。眠れない夜。常時、開店中です。

秒速6メートル

私が勤務先で
スプリンターとして認識されていることは
以前にも書いたとおりだが、
先日もまた、走る必要に迫られた。
メンバーズカードの返し忘れだ。

 

メンバーズカードには連絡先の欄がない。
持ち主のお客様に電話でお伝えすることも叶わず、
この場合スタッフは、今、お客様を見つけ出すしかないのだ。

 

 

「メンバーズカード、お返ししてきます!」

私はレジカウンターから猛然とスタートを切り、走り去った。
背中から「スプリンター」と笑う声が追いかけてきた。

 

つい先ほど出て行かれたばかりだから、まだ間に合うはず。
そう信じて、おそらく向かわれたであろう方面に走り続ける。

 

その途中、
いつも店へ集荷に訪れる
佐川急便のお姉さんを見かけた。
向こう側から台車を転がしてやってくる。

 

お姉さんも私に気づき、
私はすれ違いしな
「お疲れ様です!」と愛想を振りまいた。
お姉さんの目にはおそらく、
高速で横切る女の笑顔が残像として刻まれていた。
お姉さんのリアクションもそこそこに、私は走り続けた。
彼女は集荷のため、
我が雑貨店の斜め向かいにある
ティーン向けのアパレルブランド店へ立ち寄るところだった。

 

 

ショッピングモールの中央口前で、
私はなんとかお客様に会うことができた。
お引き止めして申し訳ございません、
大変失礼いたしましたと頭を下げると、お客様は
あらぁ、気づかなかったわ、と明るく笑った。

ごめんなさいね、ここまで来させちゃって。
ありがとう。

優しく微笑むお客様に
またお待ちしております!と笑顔で礼をし、
お客様の後ろ姿を見送ってから、
私も店へ引き返す。

 

店へ戻って間もなく、
先ほどの佐川のお姉さんが集荷にやってきた。
私がカウンター脇で「先程はどうも」と照れ笑いすると
お姉さんは虚を突かれたような顔をし、
荷受けをしながら、
ややあって、言った。

 

「お姉さん、足速いっすね」

 

うちのスタッフたちが、
どういうこと?とざわめき出すと
お姉さんは
「いや、ついさっきそこで会ったんすよ。
 そんときお姉さん、あっちのほうに走ってって。
 そしたらもう帰ってきて、いるから、びっくりして」

と、まだ驚きを隠せないといった表情で説明した。

スタッフは聞くなり大爆笑した。
やっぱり!日向さん!
またスプリンターやったの!

お姉さんもつられて笑いながら
「いやあ、ぜひウチにほしいっすね」
そして、言った。

「どうすか、佐川に来ませんか」

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飛脚――――――――!!!!!

まさかのスカウト。

 

スタッフの爆笑の中、お姉さんはなおも続けた。
「いやあウチって走んなきゃいけないから、
 足速い人ほしいんすよ。ホント。
 私、足遅いんで、大変で」
お姉さんは半分冗談、半分本気といった調子だった。

 

お姉さんは知らないのだ。
バックヤードで、その非力さゆえに
段ボールを持ち上げたまま段ボールの海に倒れ込み、
その様を「よくしなる竹」になぞらえられていることを。
うっかり入ったら、3日でクビになる。間違いない。

 

そんな半分冗談を本気にするまでもなく、
私も大笑いしながら
「うれしいです、これからもがんばります!」
と、ますます芸を磨くことをお姉さんに誓ったのであった。

 

 

数日後、
今度は電子マネーの置き忘れが発覚し
私は再びみたび、飛脚へと変身するのである。

日々着実に、飛脚への鍛錬を積みつつある私である。