純喫茶みかづき

ほっとしたい昼。眠れない夜。常時、開店中です。

私、待ってるから。

大相撲九月場所が始まった。

 

まあ大相撲が始まったっつって
騒いでんのはウチの店で私くらいのもので、
大相撲の話なんて誰も聞いちゃくれなくて、
誰とも喜びも悲しみも分け合えなくてロンリネス、なわけなんですが。

 

夏も終わりという頃にね、
秋物靴下のカタログが届きまして。

日向、好き勝手発注するの巻でおなじみの
相撲柄の靴下をですね、
さっそく発注しようとワクワクしてカタログを開いたら
今年ついに廃盤になるという悲劇が起きましてね、

 

これはもういよいよロンリネス、
もはや四面楚歌、
もう誰も私の相撲ライフを応援してなどくれない。

 

 

 

まずね、九月場所。

今場所の見どころはね、もう、
照ノ富士
これに尽きるでしょう。

 

ケガからすっかり陥落した力士が、
もう少年漫画のごとく
怒涛の展開で勝利をおさめまくり、
大関に返り咲くだけでも十分すごいのに、
横綱
綱とりまでいきました。
その照ノ富士の活躍ぶりから、今場所は目が離せません。
初日から六連勝。
飛ぶ鳥を落とす勢いとは、まさにこのこと。

 

 

うん。

 

照ノ富士の活躍は、楽しみです。
それはもちろん、そうなのだけど。

 

 

テレビを見ながら、
ため息をつかずにはいられないのです。

 

 

 

彼が、いない。

 

ああ、やっぱり、いないんだよなあ、って。

 

 

 

 

ちょっと甘酸っぱい風味出しておきながら
もちろん力士のことなんですが、
私が毎場所楽しみに楽しみに見ていた力士がね。
いないんですよ。

 

 

話は5月にさかのぼる。

 

 

 

5月某日。
ネットニュースのトップに、
信じられない見出しが躍った。

 

 


『緊急事態宣言中に、神楽坂キャバクラ通い!』

 

 

 

まさか、と思いましたよ。
あの真面目で浮ついた印象など一切ない、彼が。

 

 

ただね、本人が「事実無根」と主張していると。
そりゃあ、そうだよね。
ざわつく心を必死に抑えながら、
そうだよね、そうだよね、と思う。
きっと有望株の彼を陥れようという悪質なデマだよ。うん。
だいじょうぶ。
本当のことを言っていればいいんだよ。
なんにも、後ろめたいことがなければ、
自信を持って、本当のことを言っていればいいの。

 

そう思いながらも、
眠りにつこうとするかたわら、
どうしてか胸の奥はザワついたままで。
どうしてか祈る思いでいる自分に、気づかずにはいられなくて。

 

 

翌朝、
一転、彼が報道の内容を認めたっつーネットニュースの見出しを見た、
私の心情を想像していただきたい。

 

 

もうね、抜け殻です。
元気のない体を引きずって出勤し、
一日力士のことが頭から離れない。

ラッピングのリボンをギュッと締め上げれば力士のまわしを思い出し、
マネキンを押しやればぶつかり稽古を思い出し、
もう、古いアルバムの中に、隠れて、
エイチツーオー。想い出がいっぱい。
どのページも、力士であふれてる。
頭の片隅から、いっときも悲しみが抜け去らない。

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そんな中、
嵐のごとく、あの大ニュースが、
彼のスキャンダルを天高く巻き上げ、
世間の話題をかっさらっていったのである。

 

 

 

「ちょっと!聞いた!?」

「ガッキーと星野源!!!」

 

 

 

彼の窮地を救うためにぶつけてきた、
ってワケじゃもちろんないんだろうけど、
もう、どこ行っても、逃げ恥婚。
多くの殿方が生きる希望を失ったあの日、
私も静かに、生きる希望を失ってた。

 

 

もうね。
皆が星野源とガッキーのことで騒いでる中、
力士のことで頭がいっぱいなのは
ウチの店で私くらいのもので。

 

孤独を極め、
こらえきれなくなった私は、
バックカウンターに並んでギフト作りをする店長に、思わず声をかけた。

 

「あの…」
「はい?」
「たいへん、共感しにくいお話をすると思うんですけど…」

 

店長は、きょと、とこちらを見る。
私は笑い飛ばされることを覚悟で、
意を決して話し出した。

 

 

「私の応援している力士がですね…」

 

 

私の口から“力士”という言葉を聞いた瞬間さえ
「またか」という顔ひとつせず
話を聞ききってくれた店長の優しさに、
私は今も心から感謝している。

 

 

彼は、
立ち合いで横っ面を張ったりせず、
正々堂々とがっぷり四つ相撲で組みに行く素敵な力士なんだと。

嘘をついたのが悲しいと。

でもでも、
なぜなのか聞いてみないことにはなんとも言えない。

それに、あんなに頑張って大関になったのに
引退なんてことになってしまったらどうしよう――。

 

 

店長は悲しみを吐露する私の隣でうなずき、
「さっきお昼食べてたとき、
 そのニュース、一番上に出てましたよ」
と不憫そうに私を見た。

 

「引退に、ならないといいですね」

 

励ますように言う店長の声は
この上ない優しさに満ちていて、
私は感動すら覚えたものである。

 

 

結果引退は免れたわけであるが、
私は今日も、彼のいない大相撲を観ている。

アイミスユー。
私は、待ってる。
すべて失ったのなら、くじけたのなら、
またここから始めるだけなのだ。
彼も、私も。