純喫茶みかづき

ほっとしたい昼。眠れない夜。常時、開店中です。

とどまるものたち

ちょうど一週間前、海へ行ってきた。
幼少期を過ごした町の、観光地でもなんでもない海辺だ。

 

 

今年の花粉は昨年より多いというし、
まださほど飛ばないうちに、一度は。
連休も望めない中での、貴重な一日。
古代ローマ帝国の襲来以上の、
一年で最大の繁忙期。
お天気のいい一日を、そう簡単に逃すわけにもいくまい。

 

 

しっかし世界の、ままならないこと。
気象予報士さんがさわやかに
「今日は穏やかに晴れるでしょう☆」
とか言ってたのに、なに、ねえ!
フロントガラスにみぞれ当たってんだけど!ちょっと!
しかも車内も思いのほか寒いし、
ぜんぜん、おてんとさまの恩恵受けてる感じしないんだけど。
もう。

 

そんなこんなで、海岸到着。
天照大御神ご降臨、みたいな感じで辺りが突然照らされ出す。
わたし、神だったの?

 


堤防を越えて見晴らす海は、今日も厳かに波の音を立てていた。
ドン、という、案外迫力のある音。
12月に訪れて今回は二度目だったが、どちらもそんな音だった。
波ってもっとこう、寄せては返す、ザザザ、みたいなものだと思っていた。
日によって違った顔を見せるのかもしれない。
生き物といっしょだ。

 

 

それでも浜風は案外冷たいな、と
赤いダウンジャケットのフードもすっぽりかぶり、
堤防によいしょ、と腰をおろし、
ロン毛の又吉、みたいな髪をバサつかせながら本を読む。
変質者きわまりないナリだが、もはや異郷の地だ。気にしない。

 

 

もくもくと本を読み込んでいると、
前方からもぎたてフルーツみたいな声が聞こえてくる。
ふと目をあげると、三人の若い女の子たちが波打ち際ではしゃいでいた。
見たところ、大学生だろうか。
平日のこんな時間帯にいることを考えても、おそらくそうであろう。

 

いいなあ、可愛らしいなあ。
ふたたび本に目をおとし、もくもくと読み進める。

どのくらいそうしていただろうか。
その間、いろんな声が過ぎていった。
まだ2歳やそこらの子たちが、貝ひろいをしてはしゃぐ声。
その姿を横目に、釣りざおを放る母親、父親の声。
犬を連れて散歩に訪れたカップルの談笑。
写真撮影をする、先ほどの女の子たちと同じくらいの若者グループの笑い声。

 

 

その間も、女の子たちの声は、間をおきながら続いた。
少しの間静かになっていて、忘れた頃にまた聞こえてきて。
また、静かになって。

 

しん。
波の音だけが厳かに響く。

 

 

静かだ。
あの子たち、ずいぶん長いこといた気がするな。

もう、帰ったのかしら。

ふと前を見やる。

 


彼女たちはまだ、同じ辺りに立っていた。

 


彼女たちは三人ならんで、
海の向こうを、じっと見つめていた。

ただただ、身動きもせずに、じっと。

 

 

 

うまく説明できないけれど、
その背中を見て、わかったのだ。

 

 

彼女たちは誰か、大切なひとを失くしたのだ。

 

 

 

 

私は彼女たちの背中を、裂かれるような思いで見つめ、
そろそろと本へ視線を戻した。
わからない。
わかるはずもない。
ここで誰かを失った気持ちを、私は決してわかるはずもない。

 

 

どんな思いで見つめているか、
想像の域を出ず、私はただひたすらに本を読む。

 

そのうちに、今度はポン、ポン。と軽やかな音が聞こえてきた。
波打ち際を、スポーツウエアを着たガタイのいい青年が
黒いボールを足ではずませながら歩いてくる。

 

ポン。ポン。

 

波の音に負けず、よく響く。

みたび、もくもくと本を読み込むことにした。
彼女たちのフルーツみたいな歓声も、ふたたび上がっている。
それでも、彼女たちの背中を見たときの衝撃を、忘れられずにいた。

 

 

ポン、ポン。
ボン。

ポッ、ポン。

 

 

ひたすらに活字を追う。

 

 

しん。

 

 

ドン!

 

 

威勢のいい波の音に、顔を上げる。
上げると、波打ち際に、
海に向かって先ほどの彼がじっと立っていた。

 

 

彼は胸元で、手を合わせていた。

 

 

 

青年はそのまま動かない。
手を合わせたまま、じっと動かない。

 

 

 

私はたまらなくなって、本に目を落とした。

 

彼も。

あの子たちも。

 

 

 

 

 

一週間後、あの日がめぐってくる。

 

 

その前に、
大好きな海を前に、
それでも大切なひとを奪っていった場所で、
祈りをささげるために。

 

 

私はたまらなかった。
涙はこぼれず、じんわり浮かんだ。
あんな若い、彼や、彼女たちの痛みの切実さに受けた衝撃が、あまりに大きすぎて。
ぼうぜんとした心持ちで、私もじっと海を見つめた。

 

 

それでも海は、寄せて返す。
ただひたすらに、寄せては返し。
とどまらない。多かれ少なかれ、流れていく。


ここに、とどまることのできるのは、
とどまらざるをえないのは、
ひとびとの思念だけ。

バーニンバーニン、きみの昼だよ

これは私の強みでもあり、
時として悲劇を呼ぶウィークポイントでもあるのだが、
私はなかなかの貧乏性である。

 

過去にギンガム姐さんの過重労働
ヴィッツの凄絶な最期について語ったが、
それより遥か過去、私が学生だった頃にも悲劇は起きていた。

 

 

あれは上京して一年目の秋だった。
講義もない土曜日の昼間、突然思い立ってクッキーを焼くことにした。
紅茶のアイスボックスクッキー。
練った生地を棒状に固め、
冷凍庫で少し休ませたのち、
金太郎アメのように切り分けてオーブンで焼く、といったシロモノである。

 

冷凍庫でカッチリと引きしまった生地を切り分けていく。
うん、いい感じ。
えーとあとは、170℃のオーブンで30分ほど焼く、と。

 

いそいそと天板にクッキングシートを広げ、
切り分けた生地を等間隔で並べていく。
うん、いい感じ。
オーブンの予熱も済んだし、あとは生地を焼くだけ。

 

待つ間、次第にふんわりと漂う紅茶の香り。
バターの香りとあいまって、幸福な空気が辺りいっぱいに広がる。

焼き上がったクッキーは、それは優しい色をしていた。
人でたとえるならばウエンツ瑛士みたいな感じである。
ふわりと香る幸福な香り。
まさに、至福のときのために生まれてきたお菓子であった。


手元を見下ろすと、金太郎アメたちがまだころがっていた。
誰かにあげるわけでもないのに、
うっかり30枚ほどの全量分で作ってしまったのである。

 

焼き上がったクッキーをきれいにはがし、
クッキングシートの上に新たな金太郎たちを並べてオーブンに入れる。
さっきが30分だったから、
予熱を考慮して、今回は20~25分くらいかな。

焼き上がったクッキーは、小麦色をしていた。
人でたとえるならば
5年間太陽の光を浴びなかった松崎しげるみたいな感じである。
紅茶のいい香りが辺りに漂い、非常に優雅なしげるっぷりである。

 

それでもまな板の上にはまだ金太郎軍団がころがっていた。
私はしげるたちをきれいにはがし、
クッキングシートの上に最後の金太郎軍団を整列させ、
オーブンへ送り込んだ。

 


三度目ともなれば、思い切って15~20分程度。
のんきに洗い物をしながら焼き上がりを待っていると、
何やら香ばしいにおいが漂い始めた。
紅茶の香りではない。
まるでミートソースのようなにおいである。
何かをしっかり煮詰めたようなにおい。
うちかな? まさか。
トマトなんて使ってないし、おかしいな、
そう思ってあわててオーブンの扉を開けると

 

 

ブシャアアアアアアアアアア

 

 

 

もう、大惨事。
おびただしい、黒煙に次ぐ黒煙。黒煙パラダイス。
私は大慌てで金太郎を取り出し、天板ごと流しへ放り込み、
台所の換気扇を強めて、窓を全開に開け放った。
もうオーブンの中の金太郎がのきなみ黒こげの焼死体となっているこの惨状を、
悲劇と呼ばずしてなんと呼ぼう。

 

どうして、15分で抑えていたのに。
うろたえる私の指にふれたのは、
燃えるように熱いクッキングシートであった。
まるで鍛冶職人に打ち込まれている最中の日本刀であった。
オーブンや、焼く時間が悪かったわけではない。
あろうことか私はクッキングシートを三度使い回し、
熱され続けマグマと化したシートの上に金太郎を寝かせたことで
金太郎が無残にも炭と化した、と。
まさしく人災である。

 

まだ、いける――。
そのマインドの前に、
これまで幾度となく、多くの犠牲者が私の前を去っていった。
あの金太郎事件は、アパートの火災報知器が鳴り響けばあわや大騒ぎであった。

まだいける。
そう思うのは、私自身に対してだけにしよう。
そう固く誓う昨今なのである。

テーマフロム、トーホク。

悲報は突然、降ってわいた。

 

「おはようございます!
 国道、バイパスとも大混雑のため、
 杉山、まだ店にたどり着けていません。
 出勤の際、お気をつけください(><)」

 

それは私の出発時刻5分前のことであった。
そして、うちの店の開店時刻5分前のことでもあった。

 

私の思考回路はショートした。
杉山さんと私は、激しく近所というか、
なんだったら母屋と離れ、くらいの距離感のハイパーご近所さんなのだが、
同時に私たちは勤務先ともそこそこご近所さんであり、
開店時刻5分前にたどり着けていないなどとは
通常では考えられない。
杉山さんからの哀しい通知は、
窓の外で非常事態が起きていることを如実に物語っていた。

 

 

大混雑?
いったいなぜ?
こんなに晴れているのに。
交通事故だろうか。
だとしたら、なぜもう一方も大渋滞しているのか――。

 

 

つってもね、
杉山さんがLINEをくれた時点で、
私がフツーに職場にMajiで間に合う5分前なわけで、
お気をつけください(><)っつわれたって、
もうどうにもお気をつけようがない時間帯なわけで、
残された選択肢は、どう考えたって、
一刻も早く家を出るってことだけで。

 

 

まあ、息せき切って、飛び出しましたよね。
さして凍ってもないフロントガラス、
エンジンかけて10秒も待たずして飛び出しましたよ。

 

 

「バイパスにもう30分もいます。。
 家出てすぐの交差点は5回も信号見送りでした。。
 気をつけてくださいね泣」

 

杉山さんのLINEがついに泣いてる。
いやいやまさかねって、
ほら、家出てすぐの交差点来たけど、
信号直進、ぜんぜん、よゆーで行くじゃない!

ねえほら杉山さん、私の頃はよゆーでしたよーって、

 

 

 

全然余裕じゃなかった。

 

信号越えたとたん、別世界だった。
ドラゴンボール蛇の道かな?って思いましたよ。

 

そんなわけで、バイパス改め蛇の道
いっこうに進む様子を見せなくって、
あーこれは、Majiで遅刻の5秒前だなって、
もう誰が見ても確信できるレベルに果てしなく続いてて。

 

これは、もう。

覚悟するしかない。

 

 

 

「杉山さん、だめだ、引き返してきました。
 歩いていくことにします!」

 

 

いらない、何も、捨ててしまおう。
そう、私は車を、捨てた。
捨てたっつーか、引き返して、もう一度家を出発した。
10分間の不毛すぎる旅だった。

 

店長にも惨状を伝え、
少し遅れるけれど必ずたどり着いてみせます、って
勇者の旅立ちみたいなセリフを放って、
店長もどうかご無事で、とか村の乙女みたいなコメントを返して
とりあえず再出発したわけですけど。

 

その道の、険しいこと険しいこと。
普段車道走ってて、うすうす、地獄だな、と感づいてはいたものの、
歩道がこんなに地獄だとは思いもしなかった。
久々のドカ雪続きの冬に、除雪がぜんぜん追いついてないのね。
とりあえず歩道が野放しなの。
もう、ワイルド。あるがまま。
すんごい野性味をもって、私たちを待ち受けてる。

 

 

まさかあんな悲報が5分前に届くなんて思いもしなかったから、
リュックもいつもどおり登山者みたいな重さでね、
まさかこんなワイルドロードを歩くなんて思いもしなかったから、
靴もいつもどおりのスニーカーでね。
すんごい晴れてて雪に跳ね返ってまぶしいのに、
私が歩き出すと、風の又三郎かなってほどに、
天から冴え冴えした風が吹き荒れ始めて、
ちょっとしたトッピングで細かい雪なんか舞い始めちゃったりしてね、
もう控えめに言って、地獄。

 


なんかもう、ひたすら雪原を歩く高倉健みたいな気分になってくる。
南極物語のメインテーマが聞こえる。

 

 

高倉健ばりに歩いても歩いても、
あれ、いっこうにあのハデハデな青い車も、
いっぺんも追い越せてない気がするんだけど?なんて気づいてしまったら、
よく見ると、蛇の道が少しずつ進み始めてるっていうね。
あたし、なんのための高倉健

 

 

高倉健劇場がもはや無意味だったという
深い哀しみをリュックの上に乗せてね、
歩いても歩いても、
冴えまくった風はどこまでも冷たく冴えているというのに、
不思議と汗ばんで、暑くって、たまらなくってね、
半分くらいたどり着いたところで
歩きながらワイルドにダウンを脱ぐっていうね、
なんか鈍器みたいなリュックしょいながら脱いでるから、
うまく脱げなくって、
一時的に郷ひろみみたいな感じになって、歩いてね。
アーチーチーアーチーみたいな。
ジャケットちらり、みたいなね。
もうね本人は、それどころじゃないんです。

 

 

 

そんなこんなでたどり着いた店で、
ボッコボコの雪道を歩いてきたダメージで
足が生まれたての小鹿みたいになりながら勤務して、
昼休みにミチエ姐さんがそーっとそばを通過する気配で目覚めたら
休憩終了5分前だったなんてほどに、熟睡しちゃうなんて。

『今』が命の雪の上、
健さんも私も、知るよしもないのであった。