純喫茶みかづき

ほっとしたい昼。眠れない夜。常時、開店中です。

ナミヘイ・オンザ・ショートケーキ

我らが雑貨店では現在、
絶賛いちごフェア開催中である。

 

いちごの旬はもっと先なのに、なぜ1月にいちごなのか。
『いち』と『1』をかけているのか、
アパレル同様季節を先取りしているのか、
とにかく1月はいちごフェアなのである。

 

学生時代、アルバイト先のパン屋では、季節ごとにフェアを催していた。

 

たとえば春なら、桜フェア。
冬は決まって、やはりいちごフェアを行うのだった。
私が入職したばかりの1月、
いちごフェアのラインナップはこんなふうであった。

 

***1月の季節限定商品***

『ハートフル苺』
『苺の片想い』
『苺の初恋』
『ふわっとブルーベリー』

 

もうパンのネーミングがどう考えてもアレというか、
企画会議で行き詰まった末ヤケになった感が否めないのだが、
『いちごフェア』にも関わらず
しれっとまぎれこんでいるブルーベリーも見逃せない。

 

商品は、もはやケーキと言っても差し支えないものばかりで、
女性を中心になかなかの好評を博していた。
毎日次々と増産され、
「焼き立ての苺の初恋をどうぞご利用くださーい」
という残酷な売り文句が一日中飛び交っていた。

 

そんなある日。
レジに、一人の若い男性がやって来た。

 

彼は、イケメンとかさわやかとか、
そういう感想をすっ飛ばして、溝端淳平に激似だった。
今振り返っても、溝端淳平本人だったんじゃないかと思うほどだ。

 

溝端淳平は同世代とあって
「がんばってほしい」と
ファンともつかない立ち位置から心で応援しており、
私は一目で親近感を抱いた。

 

溝端は、トレーに『苺の初恋』をひとつだけ、乗せていた。

 

この、苺の初恋。
繊細なデニッシュ生地に、ホイップクリームと苺がトッピングされた
苺のショートケーキさながらのパンで、
非常にデリケートな商品だった。
スタッフもトングで扱う際には
細心の注意を払わないと、ホイップクリームが崩れてしまうほどだ。

 

傷一つない溝端の『苺の初恋』を見て、
丁寧にトングで挟んで持ってきてくれたのは一目瞭然だった。

 

自分へのごほうびかな。
それとも恋人へのおみやげかな。
微笑ましく思いながらパンをトングで挟もうとして、
私は息をのんだ。

 

 

たよりなげな毛が、ひとつ。

 

 

それは国民的アニメ『サザエさん』の
主人公の父・波平のトレードマークを思わせる、細くしなやかなシロモノだった。

それは静かに、静かに、確かに、確かに、
「何?」みたいな感じで、ホイップクリームの上に横たわっていたのだ。

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わけがわからなかった。
ストロベリー・オンザ・ショートケーキならぬ
毛・オンザ・ショートケーキ。
そうそれは、決してあってはならないこと。
ただ決して起きてはならないことが起きている。
それだけはわかる。

 

 

大変なことになってしまった――。

 

 

私は青ざめた。
とんでもないトッピングだ。
いったい、どこで。

 

厨房だろうか。
いや、私たちの前でコック帽を決して脱がない店長は、
頭部の毛が枯渇しているともっぱらのウワサだ。

 

では店長の鼻毛だろうか。
いや、それにしては長すぎる。おまけに細くてしなやかすぎる。
店長の鼻毛は、もうちょっと剛毛に違いない。

 

ではいったい、誰のどこの毛が――。

 

脳内が毛に埋め尽くされかけて、ハッとした。
どこの毛だってかまわない。
どこで混入したかも定かではないこの毛。
少なくとも、溝端に毛を召し上がらせてしまう悲劇だけは、起こしてはならない。


この頃、私はアルバイトを始めて数週間。
どう切り出すべきか、考えあぐねた。
溝端の心を守りつつ、
正しい事実を伝え、取り替えを申し出なくては……

 

ジャッキーちゃんのカレンダーでも
私のバカ正直ぶりはお伝えしたばかりだが
私はこのときほど、己の正直さを呪ったことはない。

 

「あ…あの……」

「はい?」

感じの良い溝端スマイル。
ああ溝端…許せ君のためだ…

 

「しょっ…商品に…
毛が付着しておりますので…お取替えいたします…」

 

止まった。
私と溝端の時間が、
コンマ1秒の世界で、止まった。

 

あああバカバカ!!私のバカ!!!
溝端のハートは稲妻ロマンティック!!!

この瞬間、語彙力とか、機転とか、
そんなもんぜんぶ吹っ飛んでた。
たぶん、お昼休憩とかに出かけてた。

もっとさあ!ゴミとかさあ!
あったよねえ!他に!
私の口ったら、なんでストレートに毛とか言っちゃうわけ?
この毛はストレートじゃないというのに…!

 

「あ……は、ハイ…お願いします…」
溝端は完全に引いていた。
さっと凍りついた溝端スマイルを私は忘れない。

 


ケーキを挟んで毛を見つめ合う溝端と私。
いたたまれず私は、
溝端の前からケーキを風の速さで奪い去り、
苺の初恋の群れへと走った。

 

ああ、この中から目ぼしいのを選んでくれたはずなのに。
このような哀しい事故が起きるたびに、いつも胸が痛んだ。
ひとつを選び取るということは、
店員が思っている以上に大事なことなのだ。

 

毛・エトセトラが付着していないか入念にチェック。
オーケー、波平ってない。
一番上等なものを、溝端のもとへ持ち帰る。

 

「こちらでよろしいでしょうか…!」

 

イヤ、毛の生えたパン以上によろしくないものなんてないでしょうよ、
という顔を1ミリも見せず、

 


「はい!ありがとうございます!」

 

溝端は、最高にさわやかに、笑った。

 

 

 

ごめん溝端。
所狭しといちごグッズが並ぶ中、私はくちびるをかみしめる。


あれ以来、苺のショートケーキを見るたびに私は思い出す。
あの、雪のように白いクリームの上に舞い降りた、
たおやかな一本の毛を。