純喫茶みかづき

ほっとしたい昼。眠れない夜。常時、開店中です。

ヘッドライト・クライシス

私は走っていた。
血相を変えて走っていた。

 

 

話は、およそ三年前にさかのぼる。

 

 

三年前のその朝は、吹雪だった。
私はヘッドライトを一段階、点灯させて出勤した。
いちめん真っ白で、相当な視界不良であったためだ。

 

仕事を終え、帰宅しようと
運転席に座ってキーを挿し込んだところで、
私は車内が異様な空気に包まれていることに気づいた。

 

反応が、ない。

 

いつものようにキーをひねったのに、
返ってきたのは怖ろしいまでの沈黙であった。
降りしきる雪にすべての音が吸い込まれる中、
実際以上の、絶望的な無音の世界に放り出されたような心地がした。


え。え。
どうしたの?

 

私は戸惑った。
何度かキーをひねってみるも、うんともすんとも言わない。
運転席をくまなく調べて、心臓がさっと凍りついた。

ヘッドライトが、点けっぱなしになっていた。

 

私は風の速さで父に連絡をとり、
導かれるままに、保険会社の24時間コールセンターへ電話をかけた。
もうじき日が替わる頃だというのに、
電話口のお姉さんはとても優しかった。
10時間以上もヘッドライトが点けっぱなしであったことで
バッテリーが上がってしまったのだという。
すぐさま対応に向かうので、その場で待機していてほしいとの話であった。

 

暖房もつかない冷え切った車内で、私は助けを待った。
父には「大丈夫だから、鍵を閉めて寝ていて」と伝えた。
こんなマヌケな理由で来てもらうなど到底できない。

 

しかし、
車内で確実に、私の体は冷え切っていった。
近くに喫茶店が見えているが、
援軍を待つ身、
今この場を離れるわけにはいかない。
暖をとる家族をうらやましく眺めるマッチ売りの少女の気持ちが、
今なら手に取るようにわかる。

 

マッチ売りの少女と化した私は、車内で震え始めた。
なんてことだ、
だから教習所でも毛布を一枚車に積むようにと言っていたのに…!!
私は殺風景な己の車内を、このときほど悔いたことはない。

 

激しく震える体をコートごと抱きしめながら、
私はアメリカン・チェリーの悲劇を思い出していた。
私は人生で何度体を冷え切らせれば気が済むのだろう。
目の前には、いよいよ『凍死』の文字が踊り始めた。

 

私…わたし、ここで死ぬの?

 

「雑貨店員、職員駐車場で凍死」――。
そんな見出しが小さく紙面を飾る。
そんな予感が現実として色濃くなり始めた頃、
ふいに携帯が鳴った。

 

「もしもし、日向さんのお電話でよろしいでしょうか~?」

 

わらにもすがる思いで電話をとると、
陽気なおんちゃんの声が耳元に響き渡った。

おんちゃん…!!天の助け!!
ほっとしきっているところ、
私はおんちゃんの名乗りを聞いて、絶句した。

「わたくし、〇〇さん(保険会社名)よりご依頼いただきました、
☆☆町の・・・」

 

☆☆町・・・?

 

 

☆☆町から来んの~~~~~~!!!?

 

 


☆☆町は隣の隣の町で、
その日、豪雪により通行止めとなった地域であった。

 

私は平謝りした。
そんな地域から、こんな夜中に、
こんなバカな女のために出張させられるなんて、悲劇にもほどがある。
おんちゃんは「大丈夫ですよ」と穏やかに笑っていたが、
いや、どうりで時間がかかるわけである。

 

間もなく
消防車のようなイカツい車が現れ、
私は歓喜とすまなさで、
車を飛び出しておんちゃんを迎えた。
駐車場入り口で
まるでローマ法王を迎える国民のような私に、
おんちゃんはどうもどうも、と軽くあいさつをし、
私の顔を見て、
ハッと息をのみ、言った。

 

「中さ入って、あったまってなさい!!!!」

 

おんちゃんの表情は切迫しきっていた。
よほど私の顔面が死んでいたらしい。

 

その後、ガソリンスタンドみたいな器具をエンジンルームに差し込んで
何やらおんちゃんはプロっぽいことを施し、
あっというまにエンジンは復旧した。
久方ぶりに動き出した暖房に、
思わず「おおおぉ」と感動の声が漏れた。

 

この車が最終的に
あの死に体ヴィッツとして祀り上げられるわけであるが、
それはまた、のちのお話。

 

あの恐怖体験以来、
私はヘッドライトを消したか
必要以上に確認するクセがついてしまった。
典型的な強迫行為とやらであるが、
一度は凍死しかかった身だ、仕方があるまい。

 

そんなところで昨日、
いつものように車内で休憩をとり、
職場へと戻る途中のことであった。

何気なくお客様駐車場のほうを見やって、
私は目を見開いた。

 

ヘッドライトが、点いている。

 

ぼんやりと、一段階だけ点けられたヘッドライト。
嫌な予感がした。嫌な予感しかしなかった。
おそるおそる車内を確認すると、
やはり無人であった。

 

私は走り出した。
風のように走り出した。
まずい、まずい、
いつから停めているのかわからないけど、まずい。
一刻も早く、持ち主に伝えなくては。

 

館内放送だ。それしかない。
職場に立ち寄り、紙に車のナンバーを書きなぐって
私はインフォメーションセンターへ突撃した。
アクリル板ごしに
カウンターのおばちゃんを口説く勢いで、
私は言った。

 

「車のッ、…ハァッ…ライトが点いてて…!」

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※実際はマスクを着用しております

息絶え絶えな女に、
おばちゃんたちは「ありがとうね」とねぎらいの声をかけてくれた。
ナンバーを書いた紙をアクリル板の下から滑り込ませ、
お願いします、と立ち去ろうとしたところ、
おばちゃんは私の目をじっと見て、言った。

 

「車種とか、わかりますか?」

 

え。

 

わからない。
見て、こなかった。

 

「どんな色だったとか、形とか」

 

わからない。
『しいて言えばガンダムっぽい感じだった』
というフレーズが脳裏をかすめたが、
当然そんな表現で車が特定できるはずもない。
ましてそんな情報で館内放送など…

 

『お車ナンバー、XX-XXの、
 ガンダムっぽい車でお越しのお客様…』

 

言わせられるはずがない。
私はこぶしを握りしめた。
館内の安心・安全を一身に引き受けている
誇り高きおばちゃんに、
そんな浮かれたアナウンスをさせられるはずもない。

 

私はへなへなとカウンターに崩れ落ちた。
「ごめんなさい、覚えてません……
 ただ、東側でした」
「ああ~、だいじょうぶだいじょうぶ。東側ね」

 

おばちゃんはカラッと笑って
「東側駐車場にお停めの、お車ナンバーXX-XX…」
と完璧なアナウンスで館内に呼びかけてくれた。

 

 

その後、あの車はどうなったのか。
私は何も知らない。

いずれにしても思うのは、
今回このような動きをとれたのは、
あの凍死未遂事件を経験したからこそだな、ということである。

以前の私であれば、
おそらく無人でヘッドライトが灯っていても、
あっさりと通過してしまっただろう。

 

危機に面してこそ、その重みを知り、
誰かを守ることができる。

 

まあ、そういうことにしとこうかなあ。
おんちゃんを巻き込んだ一大事件を勝手に正当化しつつ、
ただもう二度とヘッドライトを点けっぱなしにはしまいと
ますます固く、誓うのであった。