純喫茶みかづき

ほっとしたい昼。眠れない夜。常時、開店中です。

手づくりの未来

私には憂慮することがあった。

 

ameシリーズが、売れない。

 

待てど暮らせど、売れる気配を見せない。
それどころか、手に取られている様子すらない。

 

ameシリーズよ、おまえもか。
相撲柄の靴下しかり、わらびもちもしかり。
どうして私が本気で推すものはこうも売れないのか。

前回2組だけ揃えて買い上げたameシリーズ。
それが売れずに目の前にあり続けるのは、
生殺しに近いものがあった。

 

お願い、早く誰かに買い取られていって…!

 

本当なら、すべて買い揃えてしまいたかったのだ。
我が家ではずっと、テーブルウェアが
だいたい5枚ずつ揃っているのを当たり前に見てきたからだろうか。

 

私が購入したきり、3枚ずつ居残り続けるameシリーズ。

 

これは、運命だろうか。

 

そんな思いが頭をもたげ、私は一晩悩んだ。

これは、私のために起きていることなのだろうか。
しかし今の自分に、この買い物は必要なのだろうか。
でも、ずうっと売れずに、
3枚ずつ居続けてくれたのも、なにかのご縁。
でもでも、私には2枚のameシリーズがあるじゃないか。
これからの自分には、もうそれだけでも十分なのに。


そこまで考えて、
ふとんの中で、別のところから突然、
痛切なまでの思いがやってきた。

 

 

もてなす皿もない人生なんて。
それで、いいの?

 

 

ッターン。

 

いいわけがない。
翌朝、電卓をはじきながら私は決意した。
ameシリーズを、買おう。

しかし、それでも電卓をはじき続けてしまうあたりが、私である。

ええと、600円に…かける3…
消費税が入って…
元値の合計額がこれくらいで、
3割引だとこれくらいで、
差額はこれくらいで、
職場から支給された割引券を使うとさらに…

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ってあああもう!!
なんてあさましい!!!

価値をすべてカネに置き換えようとするなんて!!!
物事には、数字で置き換えられるものと
そうでないものがあるというのに。
私はいったいどこまで貧乏性なの。

 

必死に電卓をッターンしているそばから、
母がひょっこり出てきて「買うの?」とか言う。

「どれくらい安くなるのかはじき出してたの…」
やれやれと自分自身にあきれながら答える。

母は、ふーんという顔をしてうなずき
「それだけ気に入ったのなら、買ったら」
と、なんでもないことのように言った。

「え…」
「あとからやっぱり買っておけばよかったって思うくらいなら、
 そのときはちょっと掛かっても、買った方がいいの」

 

聞けば、彼女にも忘れられない品物があるという。

 

「あのねえ、コート。襟のところがこうなっててね…」
衝動買いをためらい
その日は買わずに店をあとにしたものの、
やはりと思い直して店へ赴いたところ、
もう売れてしまったあとだったという。

「買っておけばよかったなあって、
 何十年も経った今でもたまに思い出すよ」

 

そういえば、私にも、ある。
忘れられないワンピース。
ちょっとしたタッチの差で、いなくなってしまって。
ああ、買っておけばよかったなあなんて。
今となっては品物そのものよりも
あのとき心に感じたほろ苦さが、忘れがたいのかもしれない。

 

 

「人生には、あとから気づいて、
 間に合わなかったってこともあるんですよ?」

 

 

脚本、坂元裕二
これ以上に面白いドラマはもう現れないのではないかと思う、
私史上最高の傑作ドラマ『カルテット』。
この第二話で、
別府くんに、真紀さんが放った一言である。

 

別府くんは、長いこと真紀さんに恋をしていた。

 

10年以上思いを寄せた、真紀さん。
何度か偶然の再会を繰り返すも、
別府くんはいま一歩勇気が出ずにモジモジし、
次に会えたらきっと、今度こそ声をかけようと決意したその矢先。
四度目の再会は、彼女がウェディングドレスを着ている姿だったと――。

 

別府くんの想いを知らずに口にする真紀さん。
別府くんには、その一言が、とても、とても刺さって。

 

衝動買いといえば響きはあさましい気がするけれど、
深く心を惹かれたならば、
それはもはや、めぐり逢い。
以前同じように迷って、
店を出たところで
母に同じようなことを言われて買いに戻った、
レモン柄とブルーの食器。
そういえば、これだって後悔していない。

 

二組のameシリーズを買うとき、
私には、たくさんのお皿を広げる食卓なんて、
そんな未来なんて、
描けるはずもないと涙を流した。

 

ならば、それを叶える未来を作ればいい。

 

近所の人や友人を招くなり、
いくつものカトラリーを並べて、
幸福な食卓を築く未来を、作ればいい。
そういうことができる自分に、なればいい。


私の手元に渡ったameシリーズは、
日常使いのお皿にはなれなくても
おもてなしのお皿にはなれるかもしれない。

 

 

今、私の人生の味方は、私しかいない。

 

誰かの望みを叶える人生を送ってきた。
まさに、送ってきた。
やり過ごし、ひたすら日々を送り出し。
 

けれどいつか、
顔色をうかがい、
誰かの気に入るように生きても
自分がすり減るばかりで
どこへもたどり着けないことを知った。

 

29歳のあのとき、いらないと言われて私は、
今の私ではだめなのだと悟った。

 

私を救うのも、堕とすのも、
今の私なのだ。

 

 

作ればいい。
そういう未来を作れる可能性を、
その時々の「今」の私がにぎっている。

 

 

「来た来た、日向さん」

先輩がカウンターから笑顔で迎えてくれる。
母の話の直後
電話で取り置きをお願いし、
ラッピングで立て込む昼間を避け、
閉店間もない時刻に、買いに行った。

 

「どうしたの、やっぱり全部買うことにしたの?」
前回ameシリーズを買ったときもレジを打ってくれた先輩が、
半分冷やかすように言った。


私は照れ笑いをし、もじもじと答えた。
「はい…なんというか…」
「おもてなしできるお皿がひとつもない人生なんて…
 どうなんだろう…って…」

「考えすぎてる!!!」
先輩は大笑いした。

「めっちゃ考えちゃってるじゃん日向さ~ん」
先輩は残り笑いを引きずりながら明るく言った。

その笑顔に、笑い飛ばしてくれたことに、
私はなんだか救われる思いがした。

 

前回同様、
自分で丁寧に梱包し、
ずっしりとした袋を胸に抱えて歩く、帰り道。
月明かりが寒空を包んでいた。

 

そういう未来を、作ればいい。

そう思わせてくれたameシリーズは、
私にとってきっと、特別な食器であり続けるにちがいない。