純喫茶みかづき

ほっとしたい昼。眠れない夜。常時、開店中です。

恵みのひとしずく

三浦春馬が出てるドラマの主人公、日向さんにそっくりなんですよ」


9月。
店のバックヤードに荷物を運び込みながら、店長が楽しげに言った。
居合わせたスタッフたちがざわつく。
「あれですか、松岡茉優が主人公の」
「そうそう。髪型もちょうどこんな感じで、
古風なとことか、格好とかも…見てて日向さんだ~って」
どうせあれだろ、君に届けと同じパターンで、似てるのは髪型だけってオチだろ?
と思う間もなく、店長がニコニコと私を振り返る。
「日向さん、見てます?」
「いえ、まだ録画したまま…」

 

店長は力強くうなずいて、言った。
「見てみて。きっとすごく共感できると思う」

 

「必ず見ます。
松岡茉優さんが私に寄せてくださるなんて奇跡、もうそう訪れないと思いますから!」
と意気込んでみせると、バックヤードがどっと沸いた。

 

 

実は私には、ずっと見つめ続けていた食器があった。

 

一目見て、心を奪われた。
それは白地に雨粒をモチーフにした絵がふちをぐるりと囲む波佐見焼で、
飯碗・サラダボウル・21.5cmプレート・蕎麦ちょこがシリーズで揃っていた。
その名も、ameシリーズ。
描かれた雨粒には手描きのぬくもりが感じられ、
シンプルでいて、とても可愛らしい。
それに、どんな料理を乗せても映えそうだ。

中でも、蕎麦ちょこの形にとてつもなく心をつかまれた。
なんて、かわいいフォルム。
すっかり台形でもなく、すっかり円筒形でもなく、
背も高すぎず低すぎず、実に絶妙な形なのである。

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以来、いつでも食器の棚に、あのお皿たちを探していた。

けれど、買い集めることもせず、
売場を通りがかるたびに、ただただ、見つめ続けていた。

 

私はどうやら、自分のためにお金を使うことが苦手だ。

 

洗剤やトイレットペーパーなど、必需品に金銭を払うことは全く抵抗がない。
ただし、
「必要なわけではないけれど、ただほしいもの」
を購入することは、うんとためらってしまう。
自分の心を満たすためだけの買い物には、
どうしても罪悪感が先立ってしまうのだ。

 

いいなあ、素敵だなあ。
こんな素敵な食器を毎日そばで眺めていられたら、どんなにか幸せだろう。
でも、自分の身分で、素敵な食器だなんて…

 

ずっとあこがれ続け、来る日も来る日も、ただただ見つめ続けた。
まるで叶わぬ片想いのようである。
その状況は、ドラマの第1話で主人公・九鬼玲子が
豆皿を買うか買うまいか1年間見つめ続けたエピソードと重なる。
店長は、私という人間をよくわかっている。
私は、気がつかずにいただけで、すでに玲子と同じようなことをしていたのだ。

 

そんな矢先のことである。

 

キッチン担当の先輩スタッフがしゃがみ込んで、売場替えをしていた。
手にはameシリーズを抱えている。

「やっぱりこれ、素敵です~!」
と近づくと、先輩は
「そう言ってくれるのは、日向だけだよ」と、まゆを下げて笑った。
そうか……
わらびもちのみならず…ameシリーズよ、おまえもか…
哀しいことに、私が熱狂する商品はたいてい不人気で売れ残るという宿命にある。
もはや呪いと言ってもいい。
やるせない気持ちになりながらameたちを見下ろしていると、
先輩は「これ、明日から30%OFFになるよ。よかったら買いな」
と言った。

 

え。

さ、3割引。

 

「ずっといいなぁって、見てくれてたでしょ」

先輩が微笑む。
私の心は大きく揺れた。

 

一晩悩んだ。
今の自分に、この買い物は必要なのだろうか。
でも、ずうっと売れずに、3割引になるまで居てくれたのも、なにかのご縁。

 

思い切って、買っちゃおうか。

 

以前一人暮らしをしていた頃は
あり合わせの食器で過ごしており、
お気に入りの食器を揃えての生活など、生まれてこのかたしたことがないのだ。

今この瞬間の自分のためではない。
叶えたい未来の自分のためにひとつ、買って用意してあげようではないか。

 

むくむくと希望が膨れ上がった。

よし、買おう。

大好きなameシリーズを、思い切って、買おう。

 

さて何をいくつずつ買おうか、と考えかけたところで、
私の心は、さっと陰った。

 

ameシリーズは、プレートも、蕎麦ちょこも、
すべてが5つ以上揃っていた。

けれど私には、たくさんのお皿を広げる食卓なんて、
そんな未来なんて、
描けるはずもないことに気がついたのだ。

 

そうか、私は。

私は、たった一組のお皿で、生きていくのかもしれない。
お茶碗も。どんぶりも。おそばのセットも、カトラリーも、
みんなみんな、一組だけ。

 

作ってあげたい人が、
喜ばせたい人が、
一人もいない食卓を、繰り返しやり過ごして生きていくのかもしれない。

涙が出た。
なんてせつない悩みだろう。
ただ、だいすきなお皿を買い揃えるだけの話なのに。
どうしてこんなにも、失ったものを思わずにいられないんだろう。

それでも思い描いたameシリーズは、
幸福な色を放っていて、
それをそばに置けることを夢見る気持ちには、変わりがなくて。

 

 

翌朝、仕事は休みの日。
買い物をするために店を訪ねた。

一組だけ揃えて帰るのは、あまりにもわびしかった。
この世で私はひとりきりです、と、いよいよ宣言してしまうかのようだった。
じっと売場で迷ったすえ、
プレートと、サラダボウルと、蕎麦ちょこを
2組揃えて、レジへ向かった。
飯碗は、大切な頂きものがあるから、今回は、がまん。

 

「ください」
もじもじと差し出すと、先輩は「はいよ~」と笑った。
二組?と突っ込まれる前に、
「割れてなくなっちゃうと悲しいから、ふたつずつ買います」と言った。
「もちろん、割るつもりは、ありませんけど!」と、あわてて付け足す。
「友達が来たとき用にも、いいかなって」

先輩は、そうだよ、いっぱい使いな。とニッコリ言った。

 

「私、今日いちばん、しあわせです」
カウンターを借りて、自ら皿をパッキンでくるみながら言った。
先輩たちは大笑いした。

「まじかあ!!」
「幸せの沸点が低すぎる…!!」

私はトートバッグに丁寧に皿を詰め込みながら、
「今が、今日の幸せのピークです!」と笑ってみせる。
それほどまでに、本当に、うれしかったのだ。

 

先輩方はさぞかし笑ってくれるだろう、と思ったのだが、
キッチン担当の先輩は笑いながらも、
「そんなぁ」と半分憐れむような顔をした。
そして、言ったのだ。

「それじゃあ、もっと、素敵なの入れてあげなきゃぁ」。

 

一瞬、胸がつかえた。
先輩は、隣にいたスタッフに「ねぇ」と半分哀しげな笑みをこぼしながら言う。
「なくなっちゃったら、もえこが幸せになれなくなっちゃう」。

 

表面上は笑って店を後にしてきたけれど、
車に乗り込むなり、
先輩の言葉が、切実な愛情をもって、胸に迫ってきた。

 

そんなことを、言ってくれるなんて。

 

今がいちばん幸せだとはしゃぐ私に、
もっとたくさん、
いろんなことで喜んでいいんだよ、
そう言いたげな、お姉さま方の優しいまなざしを感じた。

キッチン担当の先輩は、可愛いお子さんたちに恵まれた、お母さんだ。

独りきり、二組の食器を揃えて
幸せだと言う私の姿を、
もしかしたら本当に憐れんでくれたのかもしれなかった。

先輩、ごめん。
そんなつもりはなかったんです。
朝に、今日一番の幸せって決めきっちゃうくらい、
本当にうれしい瞬間だったからなんです。


私、わたし、なんて幸せなんだろう。
私の幸せを、思いやってくれる、
そんな優しい先輩に囲まれて、日々を過ごせているなんて。

 

 

ひとりきりで生きていても、
ひとりきりのごはんを食べていても、
飛び出した外の世界で温かなまなざしに出会えるかぎり、
私は、決してひとりきりではないのかもしれない。