純喫茶みかづき

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しょうこちゃんの話

今日、渡り鳥の群れが夕空を行くのを見た。

 

遅番の休憩時間、
職員駐車場へと向かっていたときだった。
少し寒さの緩んだ、オレンジと青紫の混ざる空に
鳥たちの黒い影がくっきりと浮かび上がって見えた。

 

渡り鳥が群れをなして飛んでいくのを見ると、
きまって思い出すことがある。

しょうこちゃんのことだ。

 

しょうこちゃんは、
小学5年生のときに横浜から転校してきた。
気持ちが優しくて、穏やかで、
いつも笑顔がやわらかい女の子だった。

しょうこちゃんとは背丈が近く、
体育の授業で先生が
「しょうこは、ここだな」
と私の後ろに並び順を指定したとき
初めて近くで顔を合わせた。
よろしくね、といった調子で少し微笑んでみせたとき返してくれた
しょうこちゃんのやわらかい微笑みを覚えている。

 

しょうこちゃんとはなんとなく調子が合って、
その頃取り組んでいた組体操の練習で
二人とも土台を担当する側だったので
「痛めつけの時間が始まったね」だの
「がんばろうね」だの
くすくすと笑いながら励まし合ったものであった。

 

それからというもの、
しょうこちゃんとはいわゆる同じ友人グループで接するようになり
休み時間にも親しく言葉をかわす日々が続いた。

 

そんな折、
児童文集の時期がやってきた。

おそらく多くの小学校で作成されているものと思われるが
全校児童の作文を掲載したアレである。

 

クラスメイト同士で、
どんな作文を書いたのか読み合った。
お互いどこか照れくさいその時間は、
クラス中に冷やかしの笑いや、額を寄せ合う姿があふれていた。

私もクラスメイトの作文に目を通し始めたところ、
友人グループの一人がけらけらと笑いながらやってきた。
「もえこー見てこれー!」
彼女は文集を見せながら言った。
「しょうこの作文ウケんのー!」

 

読むと、
しょうこちゃんが河川敷で
お父さんと、妹さんと、
渡り鳥が行くのを見たときの話だった。

「しょうこ、鳥が『へ』の字になって、って書いてんの~!」
友人はその箇所を指さしながら笑った。
「ふつう『V』の字とかさあ、他にもあるのに、『へ』って!」

 

彼女はしょうこちゃんにとりわけなついている、
妹のようなポジションの子だった。
しょうこー、しょうこー、と後を追いかけ、
しかたないなあ、なんて姉のように世話を焼くしょうこちゃん。
普段からそんな構図だったので、
このやりとりに嫌味のようなものは感じられなかったものの
からかって駆け寄っていく彼女に
しょうこちゃんは、戸惑いの表情を浮かべていた。
どこがおかしいのか、という純粋な驚きを含んだ表情だった。

 

「えぇー、ほんとだもん、ほんとに『へ』の字だったんだってば」

 

「いいでしょべつに~」なんて照れ笑いするでも、
「やだ~はずかしい」なんて一緒に笑い飛ばすでもない、
やわらかくも毅然とそう口にするしょうこちゃん。
私も渡り鳥の群れを表す文字といえば『V』かな、と思っていたが
いつも笑って軽くいなす姿がおきまりとなっていた中、
しょうこちゃんのあの表情は、とても印象に残っている。

 

強情っぱりじゃない、しょうこちゃん。
やわらかい反論もさらりと流され
笑いの渦の中に消えていく中、
しょうこちゃんの見せたなにか言いたげな表情が
なんとなく心に引っかかり続けた。
少なからず傷ついたようにも見えたからかもしれない。

 

本当なのに。

 

いじめのような、刺すような空気ではなかったけれど
しょうこちゃんの無念がそこに残ったような気がして、
私は忘れられなかったのかもしれない。

 

 

それからどれほどの時が経ったか。
あるとき、私もまた、渡り鳥が群れをなして空を行くところを見た。

 

その群れは、『へ』の字を描いていた。

 

間違いなく、確かに、
鳥たちは『へ』の字をなして飛んでいた。

 

ああ、本当に『へ』の字だ。
しょうこちゃんの言っていたことは、本当だった。

 

空を見上げて気づいたその頃、
しょうこちゃんはもういなかった。
小学校卒業を待たずして、
横浜へと帰ってしまっていたからだ。

 

しょうこちゃん、私、見たよ。
しょうこちゃんの言うとおり、
本当に、きれいな『へ』の字だったよ。

 

そう伝えたくても、
もうしょうこちゃんはいない。
突然の転校で、連絡先も知らずに別れてしまったので
もう、伝えるすべもない。

 

その後も何度も何度も、
人生で渡り鳥が行き過ぎるのを見てきた。
私は空から鳥の一声が聞こえると、
すぐさま確かめるように空を見上げる。
誇張ではなく、
鳥の群れは確かにいつも、『へ』の字で飛んでいたのだ。

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関東の空事情は私にはわからない。
横浜からやってきたしょうこちゃん。
渡り鳥に出会うのは、めずらしい出来事だったのかもしれない。
『V』の字というのは、おそらく絵本やアニメの刷り込みだ。
渡り鳥の飛来する地に住んでいながら
そう思い込んでいた私たち。
河川敷で空を見上げたしょうこちゃんの目には、
本物の渡り鳥の群れが、くっきりと残って見えたのかもしれない。

 

 

この前日、私はある曲で別の人を思い出していた。
音楽は時として、悲しい思い出の引き金になる。

 

大好きな曲が、あの人と結びついてしまわなければよかった。
私がもともと、好きだった曲。
俺も好きだと言って、合言葉のように共有した曲。

 

聴けなくなってしまうのだろうか。
一生、この曲で必ず彼を思い出してしまうのだろうか。
何もかも、忘れてしまいたいのに。
こんなことになるなら、どうして横から入ってきたりしたの。
私だけの大切な曲で、よかったのに。

 

それでも私は、
渡り鳥が群れをなして飛んでいくのを見ると、
必ずしょうこちゃんのことを思い出す。

 

あれから20年経っても、
私は見るたびしょうこちゃんのことを思い出す。
そしてしょうこちゃんのことを思い出すたびに、
あたたかな気持ちになるのだ。

 

きっとこれから一生、渡り鳥を見て
私はしょうこちゃんのことを思い出すのだろう。
そのたびに、あたたかな気持ちになれるのだろう。

悲しい記憶が心をむしばんでしまう中、
しょうこちゃんのあの思い出があってくれて、よかったと思う。

 

 

 

しょうこちゃん、元気にしてるかなあ。
今も横浜にいるのかなあ。
きっともう会うことは叶わないけれど、
私、しょうこちゃんが大好きだったよ。
しょうこちゃんのあの包み込むような笑顔が、本当に大好きだった。

どうか幸福で。
優しいしょうこちゃんが、どうか幸福でありますように。
渡り鳥の空を見上げるたびに、そう願わずにはいられない。