純喫茶みかづき

ほっとしたい昼。眠れない夜。常時、開店中です。

メロンまん伝説

先日忘れられないワンピースやらコートやらにからめたお話をしたが、
私には忘れられない中華まんがある。
メロンまんである。

 

メロンまん、という時点で
『中華まん』と称してよいのかわからないが、
それはやはり、中華まんと同じノリで売られていたのである。

 

あれは20年以上前になるだろうか。
記憶がおぼろげなのだが、
たしか生協で出会ったと記憶している。
スイミングスクールの帰り道、
母と立ち寄った生協のフードコートの、
コンビニなどでよく見かける中華まんの蒸し器みたいな箱の中で
それはある日突然売られていた。
店頭ののぼりには『メロンまん』とあった。

 

仰天した。
メロンが、中華まんに。

 

そもそも、果物の中華まんなんて聞いたことがない。
驚きと同時に、心を奪われた。
何を隠そう、私はメロンが大好物なのである。

 

母方の実家付近はメロンの生産が盛んで、
毎年夏には祖父母が地元のメロンを送ってくれた。
幼い頃の人生初メロンがよほどおいしかったのか、
私は3歳にはすでに、殿堂入りレベルでメロンが好きになっていた。

お恥ずかしい話だが、その頃、
切り分けたメロンの果肉を
皮の向こうが透けて見えるほど貪欲にすくったという逸話まで残っている。
「きれーいにね、もう、向こうが透けて見えるくらい」
母は娘の顔に、無心にトンネルを掘り進める男たちの表情を見たという。

ちなみに兄の好物は寿司と牡蠣フライ。
なんとも親不孝な子どもたちである。

 

 

そんなわけで、メロンまんは私の心を激しくつかんだ。
いったいどんな味なのだろう。
もはや私がメロンの申し子と化していることを知っている母は
「買って帰ろうか」と声をかけてくれた。

 

母の車の後部座席で食べた
人生初のメロンまんは、格別においしかった。

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記憶もはっきりとしているつもりなので、
メロンまんの形状はおおよそこの図と相違ないものといえる。
まろやかなミルククリームが
上品な淡いきみどりの生地とあいまって
とことん優しい甘みを口いっぱいに広げてくれた。
幸福な味わいを胸いっぱいに吸い込んで、
私はとてもとても、満ち足りた気分で家路についた。

 

またあるとき、
スイミングスクールの帰りに母と生協に立ち寄ると
メロンまんは、もうそこにはなかった。
そんなに期間は経っていなかったはずなのに、
まぼろしのように、あとかたもなく消えてしまったのだ。

 

以来20年、メロンまんにはお目にかかっていない。
私にとってあの一個が、
人生最初で最後の、唯一のメロンまんであった。
打っていて「お前が俺には最後の女ァ~♪」
という山本譲二の歌声が一瞬よぎったが
山本譲二みちのくひとり旅』作詞:市場馨 作曲:三島大輔
みちのく、と聞いててっきり東北人だと思い込んでいた山本譲二
実は山口県出身と知ったのはつい近年のことである。

 

 

なんにしろ、最初で最後、唯一であるがゆえに
私の中では思い出すと甘やかな気持ちになる、
伝説の中華まんとなっている。

メロンまんは、まるで
あこがれを形にしたような姿で現れ
ほんのいっとき人生が交差したものの、
二度と逢うことが叶わなかった忘れがたい少女のようである。

 

うちの店に置かれているフォトフレームに、
こんなメッセージが書かれたものがある。
『思い出は遠くなるほど美しくなる』。

メロンまんは、彗星のごとく現れ、そして去った。
その去り際の潔さは、
まるでマイクを置いたきり二度と舞台に姿を現さなかったがゆえ
今なお伝説となっている、山口百恵のごとくである。
百恵ちゃんを中華まんになぞらえたと知れたら
私はなんらかの団体に命を狙われるかもしれない。

 

あのとことん淡い水彩のようなグリーン。
メロンまんは美しい思い出として、
私の記憶を淡く彩り続ける。