純喫茶みかづき

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不屈のライフドライバー

人間ゆうのは、記憶を燃料にして生きていくものなんやないのかな。
 ――村上春樹 2004. アフターダーク

 

薄明りに目覚めた朝。
また外がウィンターアゲインになってる。
今年の冬はどうやら予想をはずさず、大雪の冬となりそうだ。
今年は例年にも増してTERUの出番も多いことだろう。

 

こんな朝にも、もう慣れた。
ここ数年の暖冬ぶりからの差に驚きこそすれ、
心構えさえできればもう、なんのことはない。

 

そうだ。
ここで迎える冬は、いつだってこうだったじゃないか。

 

 

仕事の休憩時間に、
職場のそばのポストまで、年賀状を出しに歩いたときのことだ。


いくつかの足跡が道を作ってくれた中、
チコちゃんのアフォーダンスの話を思い出しながら
あえて、ふかふかと積もった新雪の上を歩いてみる。
自分の足が道を生み出す感覚を、得てみたくて。

 

音がなにもかも吸い込まれていく、雪の静けさの中。
足の裏がギュッと踏み固めた雪の感覚。
ああ、この感覚が、確か好きだったな。
ザグ、ザグ、ザグ。
この質量を感じさせる音も、手ごたえを感じて、好きだった。

 

そこまで振り返ったときに、ふと、よぎった。

 

 

「もえーっ、大丈夫かーっ!」

 

 

吹きすさぶ雪の彼方から聞こえる、少年の声。

 

それは、小学生の、兄の声だった。

 

 

 

その冬は確か、特別に雪の多い冬だった。

普段は土手のほうを通って通学していたのだが、
あまりの豪雪に土手を歩くことは危険とされ、
私たち兄妹と、兄の友人の三人で
国道沿いを歩いて登校することになった。

あれ以上の雪の深さを歩いた記憶は、あれ以来にない。
腰近くまで埋まるような深さの中を、
三人でえいえいと歩いて進んだのである。

 

音も吸い込まれる雪の中、
私は深みにはまり、思うように進めなくなってしまった。


遠ざかる兄たちの背中を追いかけ、
私は必死に前へ進もうとした。
妹の気配が消えた背後に気づき、ふと振り返った兄が、
降りしきる雪に打ち負けないよう、私を呼んだのだった。

 

兄が雪をかきわけて戻ってくる。

「おにいちゃあん!!」

こちらへ向かってくる兄の姿に覚えた
安心感と心強さは、今でもはっきりと覚えている。

「だいじょうぶか」
「うん」

足もとをうんしょと引き抜いてもらい、私はこくんとうなずいた。

 

「よし、行くぞ」

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あのときの心強さを、私はきっと忘れない。
どこまでも真っ白な世界の中で、
黒いジャンパーの背中が、どこまでも頼もしかったこと。

 

感覚が記憶を、景色を、呼び覚ます。

 

アフターダーク」は私の大好きな小説のひとつだが、
冒頭のセリフは、その中に登場するコオロギという女性のものである。
彼女はこの後、次のように続けている。

「それでね、もしそういう燃料が私になかったとしたら、
もし記憶の引き出しみたいなものが自分の中になかったとしたら、
私はとうの昔にぽきんと二つに折れてたと思う。
どっかしみったれたところで、膝を抱えてのたれ死にしていたと思う。
大事なことやらしょうもないことやら、
いろんな記憶を時に応じてぼちぼちと引き出していけるから、
こんな悪夢みたいな生活を続けていても、それなりに生き続けていけるんよ。
もうあかん、もうこれ以上やれんと思っても、なんとかそこを乗り越えていけるんよ」

 

深い雪にひとりはまり込んでも、
もうあの黒いジャンパーは、どこにも見えない。
自分を助け起こすのは、もうここに、私しかいない。

 

それでも人は記憶を旅する。
その先に待っている甘やかな記憶が、
今でも私に勇気を与えてくれる。

 

あんな優しさに出会えたことも、確かにあったのだと。

 

それならば進んでいこう。
記憶を燃料に、私たちはこれからも生きていく。