純喫茶みかづき

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できたの魔法

前回同様チコちゃんがらみの話なのだが、
アフォーダンスという概念をご存じだろうか。

 

アフォーダンスとはもともと
ギブソンという心理学者が生み出した造語だそうで、
「環境世界が知覚者に対して与えるもの」とかいう具合に訳される。
正直なところ、これだけではさっぱりわからない。

NHKチコちゃんに叱られる」では
私が視聴した範囲内で少なくとも二度、アフォーダンスの概念にふれている。
今回の話でふれたいのは二度目の、
「なぜ子どもは縁石の上を歩きたがる?」
というテーマについてである。

 

この問いへの回答は、
「限界に挑戦して己の能力を高めるため」
と、結ばれていた。
あなたも覚えがおありではないだろうか。
横断歩道を渡るとき、
白線の下を電撃や火の海に見立て、
白いところを渡っていけたらクリア!
なんて小さなゲームに興じたことを。

簡単すぎても、つまらない。
難しすぎても、自信をなくすだけ。
子どもは、できるかできないか、
ギリギリのところの課題を自分に課し、
それをクリアすることで
己の成長を喜び、
それを糧として生きていくのだという。

だから子どもは、
高すぎず低すぎず、
ちょうどいい高さで現れる縁石に乗って、
グラグラと綱渡りのようなイメージを楽しんで、
その上を歩く。
まさに、環境(縁石)が子どもの心を、
その上に乗って力をためすよう、誘う。

 

この話を聞きながら、なんだか胸がきゅっとなった。

そうか、人はもともと、そういうことを喜ぶんだ。

そういうことで、己への自信を高めて、
自分を好きになって、
自分はできるんだと、自分を認めて、
自分で自分を応援して生きているものなんだ。

保育を学んだときも、
子どもは自分にとって本当に危険なことには挑まないとあった。
だから先回りして抑え込むのではなく、
勇気を出して見守ることが必要なのだと。
番組を視聴しながら、その一説にも思いをはせていた。

 

それから少し経った頃、朝食をとりながら、
ラジオ番組「武田鉄矢の今朝の三枚おろし」を聞いていた。
するとそこでも、アフォーダンスが取り上げられたのである。

チコちゃんでもやってたんだよ、と
武田鉄矢も興奮した口調で話していたのを聞き、
なんとなく顔がほころんだ。
武田鉄矢も、チコちゃんを見てるんだ。

そちらの番組では、
身体障害を持つ子どもが
「決して転ばない椅子」ではなく
「転ぶ可能性のある椅子」に座ったときの変化について語っていた。

むろん、後者の椅子が、子どもたちを幸福にしたのだ。

表情が生き生きとし、
姿勢もむしろシャキッとして、
明らかに子どもの心がエネルギーに満ちている。
自分は、挑戦し、達成する喜びを味わえる存在なんだ。
その事実が、子どもたちの心を明るく支えたに違いない。

その話を聞いて、胸がいっぱいになった。
仕事の昼休みも、久々に外で弁当を食べながら、
子どもたちの話を思い出していた。
そろそろ戻ろうかと歩み始めたとき、
ちょうど縁石くらいの高さのレンガのそばを通りかかった。

 

やって、みようか。

 

いい大人がはずかしいだろうか。
一瞬そんな考えがよぎるも、
そこはもう、30。
恥じらいの陰から、やけに堂々たる「だから何?」精神がチラリと顔をのぞかせる。
ハウルの動く城でもソフィーが言っていた。
年寄りのいいところは、失くすものが少ないことね…

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息をつめて、慎重に歩く。
最後のレンガから、パッと跳び降りる。


できた。


胸に灯がともって、ぬくもる感覚があった。


あの頃、こうして「できた」の喜びを重ねて生きていた。
できた!だらけの毎日。
子どもは数々のできた!を重ねて、
何もかもが上向いていく、
これから自分は何もかもがうまくできるようになる、
これからは「できた!」ばかりが待っている。
そんな明るい信念のもとに生きていく。

でもいつしか、自分よりも「できた」な人を目の当たりにし、
自分の「できた」が、些細なものであることを思い知らされていく。

自分は「できた」な人間じゃないことを。
そうして、自分の「できたごっこ」をいつしか、やらなくなる。

他人と比べて
自分はつまらない人間だと、
自分の「できた」を隅に押しやって、
膝を抱えて、ひっそりと泣く。

 

比べなきゃいいんだ。
他人と比べることなんてばかなことするからだ。
そんなこと、やめたらいい。


そうだろうか?


「自分らしさなんて、他と比べるからわかるんだよ」

 

大学浪人の頃、恩師がスクリーンの向こうで口にした。

 

「たとえば、『背は高い方でー』。ほら、比べてる」
比べるから、この世界で、自分はどんな場所に立っているかがわかる。
誰かにとっての自分が、どんなふうであるかがわかる。

 

そう、この世界で、私たちは誰かと生きている。

 

比べたっていい。
比べるばかりじゃ、
少し泣いちゃうときもあるかもしれないけれど、
比べることで、あなたの力がもっと見えてくることがある。
一人の世界じゃ浮かび上がらなかったものが、
「みんな」の助けを借りて、浮かび上がってくる。


比べることで、
自分の「できる」に気づけることも、あるから。
比べる自分を責めないで。
比べて見つけた「できる」の原石を、
ピカピカにみがいて、「みんな、できたよ!」って、届けられたら。