純喫茶みかづき

ほっとしたい昼。眠れない夜。常時、開店中です。

ジェフくんの思い出

クリスマス・イブ。
街全体がきらめき出し、浮かれ出し、
子どもたちに夢と希望を与える、聖なる夜。

 

「いい子にしていると
クリスマスの夜にサンタさんがやってきて、
プレゼントを贈ってくれる」

 

このおとぎ話のようなイベントに
子どもたちは胸をときめかせ、
どことなく厳粛な心持ちで夜空を見上げるのである。

 

しかし、子どもたちに夢と希望を与えてきた陰で、
この日に数々の悲劇が繰り返されてきたことを
私たちは決して忘れてはならない。

 

 

「もえちゃん、なにか、ほしいものってある?」

 

それは、秋の昼下がり。

 

母がお決まりのセリフで調査に入る。
日向家もまた世間の流行に乗り、
クリスマスプレゼントのイベントを年中行事に取り入れていた。
私は、どうして突然そんなことを言い出すんだろうと、毎年不思議に思っていた。

「え?」
「ほら。なにか」
「うーん……?」

 

子どもの頃、私はあまりものをほしがらなかった。
ほしがる必要もないくらいに
両親がきちんと買い与えてくれていたということも事実だが、
そもそも、あまり物欲のないタイプだったのだ。

 

「うーん………」
考えたまま黙り込んでしまった娘を前に、母は焦り始めた。
「ほ、ほらなにか…こう…ぬいぐるみとか…!」

私と同様かけ引きに関してはとんと不器用な母が、
もはや露骨な誘導に手を染め始める。
子ども心に「何かほしいものを言わないとマズい」空気を感じ取り、
私は焦った。母はもっと焦っていた。
どうしよう。なにか。なにかを言わないと。

そのとき、本棚の上にちょこんと腰かけたぬいぐるみが目に入った。

「じゃあ……ぬいぐるみ……?」

母は「キター!」とばかりに「ぬいぐるみね!?」と目を輝かせた。
これでひとまず彼女の任務は達成である。
う、うん…と若干圧倒されながら私は言った。


こんな感じで、
毎年日向家において私からほしいものを吐かせることは、
なかなかミッションインポッシブルなイベントであったのだ。

 

そんな、ある年の秋。

 

「もえちゃん、なにか、ほしいものってある?」

 

例年の母のセリフが今年も繰り返された。その場には父もいた。
いいかげん勘ぐってもいいはずなのだが、
私は昨年同様に、「え?」と首をかしげた。
無欲な娘の反応を、かたずを飲んで見守る両親。

 

しかし、この年の私は、例年とは違った。

 

「あのね…」

「ジェフくんが、もうひとりほしい」

 

ジェフくん?と両親は首をかしげた。

ジェフくんって、あの、男の子?

 

ジェフくんとは、
着せ替え人形「ジェニーちゃん」のボーイフレンドである。

ジェニーちゃんは、
リカちゃん人形のもう少しお姉さん的ポジションに位置する人形で
優しげな表情と、きれいなピンクベージュのような髪がきれいな女子高生だ。

ジェニーちゃんは、私のおきにいりだった。
するとどういう経緯かある日、ボーイフレンドのジェフくんが贈られたのである。

私はこくりとうなずいた。
「ジェフくん、おとこのこひとりで、かわいそうだから」

「もうひとりジェフくんがいれば、
おとこのこがふたりになって、さびしくなくなるから」

 

 

思えばジェフくんは、なかなかの苦労人だった。

 

 

マッシュルームカットに、小麦色の肌。
ブルーのTシャツに、白いハーフパンツ。
ジェニーちゃんと同じテイストの、優しげな顔をした美少年だった。

我が家にやってきて早々、
兄はジェフくんの衣服を脱がせ「ブリーフ履いてる」とつぶやいた。
私も「ほんとだ」とパンイチのジェフくんを何の感慨もなく見つめた。
ジェフくんのデビュー初日は、
子ども二人の前で辱めに遭うという最悪の洗礼を受け、幕を下ろした。

 

 

ジェフくんの苦悩はこれだけにとどまらない。

 

 

日向家の着せ替え人形は、
親戚の方にいただくなどしてメンバーが徐々に増え、
その人数はちょっとした少女ダンスユニットくらいに増えていた。
ジェフくんはその中での逆・紅一点として慎ましく活動していた。

 

子ども心に、
これだけ大勢の女性陣にかこまれて過ごす姿を、不憫に思って見ていた。
彼女たちに溶け込めず、いつも一人寂しい思いをしているのではないかと、
さぞかし肩身の狭い思いをしているのではないかと、ずっと気がかりだったのだ。

男も女も、多勢に無勢。
多いほうが力を持ちやすい。

ちょっとジェフ、コーヒー牛乳買ってきて。
あたし午後ティーの無糖。
とか言われかねない。言われてたかもしれない。

 

ジェフくんの窮地を、救いたかった。
両親は、普段ものをねだらない私が
確固たる意志をもってジェフくんを求める姿を、
どこか喜ばしく思っているのがわかった。
そうか、ジェフくんか。
父は満足そうにうなずいた。

 

ジェフくんが、もうひとりほしい。
無欲な娘の、たっての願い。

 

このとき、両親は思いもよらなかっただろう。
これがまさか、とんでもない願いごとであったということを。

 

 

12月24日の夜。
私は例年にない緊張感で、眠りについた。

 

明日、朝が来れば、ジェフくんがいる。

ジェフくんが、ふたりになる。

想像して、ほっと安堵しながら目を閉じる。
これでジェフくんが、心細い日々にようやく別れを告げられる。

 

そう。

その、はずだった。

 

 

翌朝。
明るく白む部屋の中で目を覚ます。

ジェフくんが、いるはず。

ドキドキと高鳴る胸をおさえ、
私は息をつめて、そっと枕元を振り向いた。

 

次の瞬間の心情は、私はきっと一生忘れないと思う。

 

 

 

ジェフくんは、いなかった。

 

 

 

それどころか、何も、なかった。

 

 

 

私は呆然とした。
空っぽの枕元を、じっと見つめ続けた。

 

 

 

その後の記憶は、一部途切れている。
ふらふらと部屋を出たのか。
その場で声を上げたのだったか。

 

 

確かなのは、わめくでも怒るでもなく、
私は大泣きしたということである。

 

 

なんと言いながら泣いたのか。
その顔をのぞき込む両親の必死な表情。
それはありありと覚えている。

 

「もえこが、いいこじゃなかったからだ」
「もえこは、わるいこだったんだ」
「ごめんなさい」

 

そう繰り返し、茶の間に立ったまま、
何も降ってくることのない天を仰いで、泣き続けた。

心の中には、いろんな悲しみがうず巻いていた。

私が悪い子だったせいで、ジェフくんはこれからも一人きりなんだ。

二人もほしいだなんて、きっといけないわがままだったんだ。

 

 

『いい子にしていたら、サンタさんがプレゼントをくれるんだよ』

 

 

プレゼントが得られなかったのが、悲しいんじゃない。
もらうために、いい子ぶって、暮らしていたわけでもない。

 

でも、あの空っぽの枕元を見た瞬間、
見放されたような気がしたのだ。

 

 

おまえなんか、いい子じゃない。

 

おまえは、ダメな子だ。

 

 

 

両親は、哀しげな、泣き笑いみたいな表情で、私を必死になぐさめた。
「ちがうよ、もえこ、ちがうよ」
「サンタさんはね、お父さんとお母さんに、
買ってもらいなさいって、言ってるんだよ」
「もえちゃんはなんにも、悪くないんだよ」

 

両親のなぐさめに、私はいっそう泣いた。

そんな言葉さえもくれずに、
黙って私を見放して、窓の外を走り去っていった、温和な彼を思って。

 

私は見捨てられた子だ。
そんな気持ちさえして、熱い涙が、次から次へとこぼれ落ちた。

 

 

 

 

この凄惨な事件の顛末を、私は数年後に知ることとなる。

 

「本当に、どこを探しても、なかったの」

 

「サンタさん」の正体を悟りきった娘を前に、
母は当時の悪夢を思い出すかのように、苦悶の表情で言った。

母の供述によると、ジェフくんは
当時心当たりのすべてのおもちゃ屋を探し歩いても、どこにもいなかったらしい。
隣町、そのまた隣町まで赴き、しらみつぶしに探しても、
彼を見つけることは、ついぞ叶わなかったという。

 

ジェフくんが争奪戦のターゲットになって在庫切れになっていたとは考えがたい。
彼は肩書こそヒーローだが、
おそらく人気度で言ったらリカちゃんのパパに劣るであろうモブキャラなのである。
クリスマス商戦の時期にあって、この、ジェフくんの需要のなさ。
いったいこの世界にジェフくんは何体存在するのか。
もはや絶滅危惧種と言ってもいい。

 

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足が棒になるほど探し歩いて、
娘の願いを叶えられないとあきらめた瞬間の二人の気持ちを思うと、胸が痛む。

他のものでごまかして、夢を壊すわけにもいかない。
事実を伝えればどんなにか楽になれるのに。
秘め事を、幼い我が子に伝えるわけにはいかない。

 

目の前で悲嘆に暮れる娘を前にして
泣きたいほどつらかったのは、
他の誰でもない、両親のほうだったのだ。

 

 

この「幻のジェフくん事件」は
私にとっても両親にとっても、
20年以上が経過した今でさえ、胸がシクリと痛む思い出なのである。

 

 

このように、クリスマスとは
いたいけなハートをブレイクしてしまう
罪なイベントにもなりかねないということを、
どうか心に留め置いていただきたい。


大人の皆さんには、
生半可な気持ちではなく、
心して完璧なサンタを演じきってほしいのだ。

 

特に今年のクリスマスは、いっそう気を引きしめて臨んでいただきたい。

 

たくさんのがまんと、
たくさんの不安を強いられた、
今年の子どもたち。

 

大人たちよ、心してかかろう。
クリスマスは油断した瞬間に、牙をむく。

私もね、小売業に従事する一介の大人として、
値札うっかり貼ったままラッピングしちゃったりとか、
1番でお待ちのお客様~とか言って2番のかたのラッピング渡しちゃったりとか、
絶対にないように、気をつけますから。

 

 

我が雑貨店は今日も、
贈り物を求めるかたであふれていた。

 

あの日の父と母も、
喜ばせたい一心で、街を歩いてくれていた。 

 

想いを乗せた今年のすべてのクリスマスプレゼントがどうか、
幸せを運ぶものでありますように。
心よりの、願いをこめて。