純喫茶みかづき

ほっとしたい昼。眠れない夜。常時、開店中です。

優しい約束

「そりゃあそうだよ。
人は、自分が出した分を返してくれなかったら
必ずいつか去ってしまうものだ」
 ――吉本ばなな 1989.『TUGUMI

 

お気に入りの、紺色のワンピースがある。

二十歳の頃から着ているもので、
カシュクール風にもなるし、
エプロンワンピース風にもなるし、
前後2wayで合わせて4通りです、みたいなふれこみだったと記憶しているけれど、
たいてい同じ着方しかしない。

 

そのためもあってか、
いやそれ以上の理由があって、
長いこと裾のボタンがふたつほどはじけ飛んだ状態だった。

 

今回その理由はいったん置いておき、
ボタンつけのときの話をしたい。

 

そのワンピースの気に入りぶりといったら、
もしこれが傷んで着られなくなっても
型を取って同じものを作りたいと思うほど。
両脇についた大きめのポケットといい、
切り返しの位置といい、
ずっと付き合っていきたいな、と思う一着なのである。

 

そんなわけで、ボタンつけに使う糸にもこだわった。
どうせボタンをつけ直すなら
元と同じ色の糸を探し、
しっくりとなじむように直したいと考えた。

 

そうして、2年。

 

うっかり2年が経過し、
ようやく近所の手芸店で
元の色そっくりの、茄子紺の糸を見つけたのである。

吟味に吟味を重ねて選んだ糸。
その日は選別だけで疲れ切ってしまい、
今度余裕のあるときに。なんて、はたまたボタンつけを先送りしてしまった。

 

そうして、3ヶ月。

 

うっかり3ヶ月が経過し、
いよいよ寒くなってきたし
このワンピースの出番、とばかりにスポッとかぶって、
あー! である。
私、まだボタンつけてなかったんだった。
裾が、チャイナドレスのままになってる。

 

迷った末、
ワンピースを着たまま、ボタンつけに取り掛かることにした。
いったん脱ぎゃあいいのに、横着な女である。
いけるかな、なんて思って。

細心の注意を払って、針を通す。
コペンハーゲンの人魚像みたいな体勢で縫いつけているため、
針を戻す位置を何度か失敗する。
だからいったん脱げばよかったのに。

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慎重に、慎重に、
まっすぐ元の箇所に戻るよう位置を選ぶ。
決めたら垂直に、迷わず、針を通す。

 

何度か繰り返しているうちに、
心が次第にやすらいでいくのがわかった。

 

 

心が、鎮まる。

こうしてると、落ち着く。

 

 

ささくれだった心さえ、吸い込まれていくような。
波立った海に、凪が訪れるような。
そんなやすらぎ。

 

チクチクチクチク、と縫い留めながら
どんどん心は研ぎ澄まされていくようだった。
今目の前に、心の前にあるのは、
針と糸だけ。
無心に刺して、素直に返ってくるだけ。
ひたすらそれを、繰り返すだけ。

 

子どもの頃、テレビのものまね歌合戦の審査員に
はりすなおさんって方がいたけど
はりすなお、ってそこから来てるのかな。

 

まっすぐ刺せばまっすぐ返ってくる。

 

人間がどんなに裏切っても、針は決して裏切らない。
筋肉体操なんて番組もあるけど、
筋肉以外にも裏切らないものはちゃんとあるのだ。

 

自分がしたとおりに、きちんと返ってくる。
そのやすらぎは、とうの昔に置き忘れたようなものだった。
大学浪人時代、恩師が言った。
「受験は努力がそのまま成果となって現れる
数少ないもののひとつだ」って。

 

そう。数、少ないのだ。

 

いくら努力をしても、それだけの結果が返ってこないものが
この世にはたくさんあることを、いつか知る。
ひとの想いも、また。

いくら想いを傾けても、同じものが返ってくるわけじゃない。
いくら誠実に向き合っても、誠実さが返ってくるわけじゃない。

 

信じるのがこわくなる。
自分の信じているものさえ、信じていいのかがわからなくなる。

 

この世界には、確かなものがあまりに少なすぎて。

 

 

チク、チク、と地道に針を通し、
玉止めをして、パチンと糸を切る。

 

刺繍が趣味、というかたの気持ちがわかるかもしれない。
無心でいられるとか、
ただ純粋に刺繍されたものが好きだとか、
理由はさまざまだと思うけれど、
心が落ち着くあの状態は、
きっとその方々が至った境地に似たものを共有できた気がする。
ひょっとしたら、坐禅にも通ずるものだろうか。

 

刺繍を趣味にしてみるのも、いいかもしれない。
趣味にまで発展させられなくとも、
ときどきこうして、
針と糸で心をなぐさめてみるのも、いいかもしれない。

不確かな世界の川底にきらりと光る、確かな世界を求めて。