純喫茶みかづき

ほっとしたい昼。眠れない夜。常時、開店中です。

はんぶんの月

子どもの頃、『さんまのスーパーからくりTV』という番組が大好きだった。
兄と二人で、毎週日曜日の夜7時を、楽しみに待っていた。


人気コーナーの一つに、お悩みパビリオン、というタイトルで
ご長寿や大学教授などが、訪れた人々の悩み相談に応えるといったものがあった。
相談内容はハッキリと思い出せないのだが、
確か相談者は小学生の男の子で、
「友達と仲良くなる方法」を尋ねていたと思う。
もしかしたら、あまりうまくいっていない相手、
苦手な相手を指していたかもしれない。

 

このお悩みに答えたのは、
私たち兄妹のお気に入りだった、加藤淳教授である。
フォッフォッフォ、と笑いながら教授は、ズバリこう答えた。

 

 


「一緒に穴を掘りなさい」

 

 

当時、私たちには何のこっちゃだった。
同じ穴を共に掘ることで、めばえるものがあると。
一方、後ろで聞いていた父マサユキは、
その回答にいたく感銘を受けていたことをよく覚えている。

 

 

 

先日は、“ほぼ”皆既月食という、ちょっぴりめずらしい現象が見られた日。

そのニュースを読んで、ああ、また起こるんだ、と
少し前のつもりの皆既月食の日を思い出して、
いつだっけ、って調べて、
5月だったって知ったときの絶望感ね。
そのうち過去の毎日を“少し前”なんて言い出しかねない。
毎日がスペシャル。

 

 

とまあ、とにかくあれです、5月のときの。
本当に5月だったのあれ。打ってても信じられない。

 

 

あの日も朝から、なんだったら数日前から、
スーパームーンだ、次は何十年後だ、なんて
もう月の話でもちきりなわけです。

そっかー、私、中番(なかばん)だからなあ。
残業が延びなければ、ひょっとしたら、見られるかなあ。
トーストをかじりながら、ぼんやりそんなことを思って、
ぼんやり勤務を終えて、
さしたる期待もせずに歩く帰り道の空に、
いつもと違って不自然に欠けた月が、
いつも以上に白くまぶしく輝いて、浮かんでいた。

 

 

駐車場に差し掛かると、
入り口付近、
その月明かりに照らされて、小さな人影がたたずんでいた。

警備員のおやっさんだった。

チェーンを掛け終えたあとそのまま立ち去るのも惜しそうに、
ポールに少しもたれて、月を見上げていた。


「お疲れさまですー」
「おっ。お疲れさま~。今日はいつもより早いね」
「中番だったので」

 

私たちは並んで、改めて月を見上げた。

 

「すごい。始まったばかりですか」
「うん、そうじゃないかなあ。
 少し前から始まって、8時半までの間がピークとかなんとか」
「ええ~。それまでなら家に着けるかなあ。
 間に合うといいなあ。
 運転してる間、見られなくなっちゃうから」
「間に合うかもね~。
 いい頃かもよ」

 

普段だって、優しいおやっさんとは仲良しだけど、
この日は、同じものを見上げて、同じ時を過ごしてる。
同じものを分け合っている。

 

 


ただそれだけで、
どうしてこうも、グンと心が近づいて感じるんだろう。

 

ああそうか。
一緒にいるってことの意味は、こういうところにあるんだ。

 

同じところに立って、
共に分け合うからこそ、見えてくるものがある。
共に分け合うからこそ、相手をもっと近くに感じられる。
もっと近くに感じられると、
「そのひと」がちゃんと見えてくる。
そのひとは、一個のそのひとになる。
不特定多数の誰かじゃなくなる。
そのひとの、心が見えてくる。

 

 

そうか。
美しいものを共に分け合って、こんな気持ちなら、
つらいものを、泥臭いものを、
分け合って共に進んだ時間のことを、ひとはきっと、忘れない。
そのとき、
ずっとずっと、そのひとは自分の近くにいるだろう。

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あの日、どれだけの人が月を見上げていただろう。
性格も育った背景も、今置かれている状況も、
何もかも違っていても、
月を見上げているとき、
私たちは確かに同じものを分け合っていた。

 

こんな今、

直接、そばにいられなくても、
何かを分け合うことは、きっと人と人とを近づける。

 

 

分け合おう。もっと、もっと。
そばにいる誰かと。
遠く離れた、大切な人と。