純喫茶みかづき

ほっとしたい昼。眠れない夜。常時、開店中です。

しあわせなおくりもの

「日向ちゃんって、この辺の子じゃないでしょ」
昼下がりのパン屋、レジカウンター。
洗い終えたトレーを拭きながら、マツモトさんが言った。

 

私は進学と共に上京し、パン屋でアルバイトを始めたばかりだった。
その日はパートのマツモトさんと二人で、昼のシフトに入っていた。
お客さんも引いて、店内には私たち二人きり。ゆっくりとした時間が流れていた。


「え」
私は目を丸くしてマツモトさんを振り返った。
「は、はい…そうです…」
マツモトさんは「やっぱり!」とにこにこ言った。
「ひょっとして、東北の方の子じゃない?」

 

今度は目を丸くするどころでは済まなかった。
「えぇ~っ!!どうしてわかったんですか!?」
やっぱり、なまってるのかな、私。


あたふたしながらそう言うと、マツモトさんはちがうちがう、と笑った。
「なんかね、なんていうかね…違うのよ。
 発音っていうのかな。なんとなくね、この辺の子たちと違うのよ」

それって、やっぱりなまってるってことなんじゃないの?と私が顔を赤くしていると、
「日向ちゃんって、何県出身?」
マツモトさんはどこかうきうきした調子で尋ねてきた。
出身の県を答えると、マツモトさんは再び「やっぱり!」と言い、
「どのあたり?」〇〇市とか?と更に尋ねるので


「そこからもう少し東に行ったところなんです」



と答えた。
すると、マツモトさんはとたんに目を輝かせた。
「ほら!今も!」

 

「ひんがし、って言ったよ!」

 

 

私は何を言われているのかさっぱりわからず、
「ひんがし…?」と、ぼんやり訊き返した。
私、ひんがしなんて、言った?
マツモトさんは嬉しそうにうんうんうなずきながら、
「そうそう。ひんがし。
この辺の子が言うとね、ひガし。ガ、がね、ガギグゲゴって。
でも日向ちゃんは、『ひ』と『が』の間に、ちっちゃい『ん』が入るっていうか。
こうね、鼻に抜ける感じなの。うまく言えないんだけど。
こうね、」

 

 

「やわらかい感じなの。がぎぐげご、が」

 

 

マツモトさんは、にっこりと私を見つめた。
ぼんやりし続けていた私は、
そのまなざしの優しさに、励まされるような気持ちがした。

「もう一回言ってみて、『東』って」
マツモトさんに促されるまま、「ひがし…」と小さくつぶやいた。
「ほら、それ!」マツモトさんは人差し指を優しく振った。
「『ガギグゲゴ』じゃないでしょ?」

 

 

これが私にとって人生初の、「鼻濁音」との出会いであった。

 

 

鼻濁音とは、まぁ早いところが、
やわらかめの「がぎぐげご」、といったところのものである。
んが、んぎ、んぐ、んげ、んご、とよく表されるが、
発語している者としては「ん」をねじ込んでいる意識はまったくなく、
口の中を丸く開いて、
なんとなくまあるく、がぎぐげごと言っているにすぎない。

 

詳しくはわからないのだが、
日本古来の日本語の発語だとか、
東北地方などにいまだ残っている、使い手が数少ない発音だとか、
なんだかものすごいことを言われている。

生まれてこのかた、ずっとただ「がぎぐげご」と言って生きてきただけなのだ。
その「ソフトがぎぐげご」が、絶滅危惧種とさえ言われる崖っぷちのポジションにいるとはつゆ知らず。
ソフトがぎぐげごに、なんか、ゴメン…という心境だった。
君たちが、そんな困ってたなんて、知らなかったよ。

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マツモトさんに指摘されたこのときでさえ、
自分が操るそれが『鼻濁音』であること、
それがいまや、希少となりつつある発語であることを、知りはしなかった。

マツモトさんがなぜ、私の言葉を東北由来のものだ言い当てたかというと、
結婚した旦那さんが、なんと私と同じ県出身なのだという。
そちらの実家を尋ねたときに聞く言葉とよく似ていたため、もしやと気づいたのだそうだ。

おそるべしマツモトさんのリスニング精度、である。
本人でさえまったく意図せず、気がつかなかった違いを、
昼下がりのパン屋なんぞで、見事拾い上げてみせてくれたのだ。


以来、大学の部活動でも一人、
「もえこって東北出身だって、言葉聞いててすぐわかった」と言った子がいた。
「あたしのお母さんも東北出身でさ、なんかそっちの言葉と似てたから」
東北民より、東京のかたのほうが、言葉の違いに鋭いのだろうか。

 

大学を卒業し、地元へ戻り、
どこかのタイミングで「鼻濁音」を意識するようになった。
歌番組でも、耳を澄ませて聴くと、鼻濁音の「がぎぐげご」を使う方と、
そうでない方がいることに気づくようになった。
一度気づいてしまうと、そうでないガギグゲゴが、妙に気になるようにもなってしまった。

 

誰も、こんな違いなんて、気にしていないんだろうな。

 

 

マツモトさんがあんなに嬉しそうに拾い上げてくれた、がぎぐげご。

やわらかいと、優しいと、
いくら褒めてくれたって、消え失せそうになっている、特に求められない発音。
そんな寂しさを抱きながら、「君ガ~」などと歌う姿をぼんやり眺める。

そんなときだ。

少し前に、何気ないツイートがきっかけで、
エレファントカシマシおよび宮本浩次のファンの皆様と出会ったとき。
何名かの方のプロフィールか何かで、見かけたのだ。
「鼻濁音」と。


思わず飛びついた。
つまるところ、宮本浩次さんが、鼻濁音ユーザーであり、
そのやわらかい響きを、ファンの皆様が好んでいるというのだ。


うれしかった。
「鼻濁音」に耳を澄ませている方が少なからずいることが、うれしかった。

 

私は、守りたかったのだ。
消えてほしくなかったのだ。あのやわらかい、がぎぐげごに。


自分が二つの「がぎぐげご」を使い分けていることを知ったとき、
自身のルーツというものを、はっきりと意識した。

東北という地が、私という人間を育ててくれたんだ。

 

きっと、母の、父の、地域の人々の、
たくさんのやわらかい「がぎぐげご」をたっぷり浴びて、
自身も気づかぬところで、その言葉を受け取り、未来へ繋いでいた。
その事実に、なんだかじんとして。
東北の地で、ずっとずっと、
親から子へ、ずうっと繋がれてきた、がぎぐげご。

 

忘れ去られるのだろうか。
いや、そうあってたまるものか。
ただ一人でもそれを話す人間がいるかぎり、
地球上からソフトがぎぐげごが消えることはない。

 

遺そう。遺していくんだ。
マツモトさんが「やわらかい」と喜んで聞いてくれた、がぎぐげご。

 

幸いソフトがぎぐげご話者は、決して一人でも独りでもない。
テレビやラジオ、あちこちに引っ張りだこで、
そのたびに美しい鼻濁音で
やわらかく温かく歌い上げる宮本浩次さんがいるなら、千倍力だ。

 

その響きに救われる人がいるかぎり、きっとそれはこれからも、繋がっていく。