純喫茶みかづき

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ミューゲの日

男性から花を贈られるという場面が、
これまでの人生で二度だけある。
一度目は、保育士時代、児童クラブへ通う少年から。
二度目は、つい先日のことである。

 

一昨年より、
以前時代遅れのアドレス変更の回にも登場した
ゼミの恩師のご著書出版企画に
執筆者として末端ながら参加していた。

 

執筆依頼のお話を頂いて、
それはもう、びっくりした。
何しろ私は、
とんだ不良ゼミ生だったのである。

 

ゼミの日の朝、
落ちていた空き缶を避けようとして
自転車で激しく転倒し、
両膝から流血の挙句
ゼミ終了後に登場するという失態を犯したり、

卒業論文の進度も決してかんばしくなく
さんざん迷惑を掛けまくった上、
最後は酒を飲みながらランナーズハイ状態で書き上げ
提出期間の最終日ギリギリに提出したりという、

 

もうどっから切っても馬鹿者、
ポンコツ不良ゼミ生だった私を
先生は在学中も確かに、
大海原のように受け止め続けてくださっていた、が。

 

 

さらに悪いことに、
その頃の私は、大失恋を喫した直後だったのである。

 

 

無気力に磨きがかかりまくった状態の上、
キャリアの乏しさを考えても
あまりに畏れ多い話で、
初めこそ丁重にお断りした。
先生からの明るいニュースに心が躍りながらも、
私の経歴ではふさわしくないと。

 

先生はそれでも、ぜひにと仰ってくださった。
お返事を読んで、日向さんらしいなと思いました、と。
人とのかかわりを大切にしている思いが
伝わってきました、と続けられていた。

『経験の多少ではなく、
 そのなかで何を感じながら活動してきたのかが重要です。
 その点で、
 「短い経験のなかに人に対する思いやりの心が感じられ、」
 それを本の原稿に昇華していくことには
 十分な意味があると感じました』

こういうことを仰る、先生なのである。

 

 

私は抜け殻だった心を奮い立たせ、
先生の支えと導きのもと、
なんとか最終稿を完成させることができた。
ほどなくして手元には
美しい装丁をほどこされた
先生のご著書が届いた。

 

 

先生にお祝いと感謝の気持ちを伝えるべく、
悩んだ結果、
超有名・地元銘菓の陰に隠れているものの
地元民ならばそのおいしさを知らない者はいない、
隠れた地元銘菓を贈ることにした。
手紙は、『幸運をはこぶ手紙』と題された
ラッキーモチーフである木の実がちりばめられた便箋を使用した。

 

手紙の中で、
執筆期間の自身について初めて語った。

 

一人の人間として、女性として、
あらゆる面で行き詰まった状態だったこと。

 

そんな私にとって、
先生の大切なご本の出版に携わることができたことは
大きな喜びであり、励みであったこと。

 

保育者としての自身を見つめ直す中で
自分が何を大切にしているのか、
自分はいったいどんな人間なのか、
洗い出されていく感覚があったこと――。

 

 

在学時と変わらず、
私の歩みに寄り添ってくださった先生に
感謝のたけを書きつづった。
自身の心的状態にふれたのは、
執筆活動がいかに前向きな方向に
私を動かしてくれたかを伝えたかったからだった。

 

 

そのおよそ一月後。

多忙を極めているはずの先生から、
一通のメールが届いた。

 

開けてみると、
先日は大変おいしいお菓子と
心のこもった手紙をありがとうございました――と
先生らしい丁寧な挨拶から始まっていた。

メールには、
授業の動画撮影を行っていることや、
キャンパスの様子など、
先生の近況についてふれられていた。

 

ほっとしながら読み進めていると、
結びには、こうあった。

 

『今日は「ミューゲの日」です。
 ミューゲは、フランス語でスズランのことです。
 この日、親しい人にスズランの花束を贈ると、
 もらった人に幸運が訪れると言われています。
 写真のスズランを贈ります。
 受け取ってください』

 

添付ファイルには、美しいスズランの写真があった。
こぼれるような、可憐な白い花。

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画面を前に、じんわりと目頭が熱くなった。
先生の、変わらぬ優しさが、
手に取るように伝わってきた。

 

 

我が雑貨店で扱っている商品にも
「ミュゲの香り」なんてものは数多くあるが、
日常的にふれながらも、いや日常的にふれているからこそ
「はいはい、ミュゲね」くらいのノリになってしまい、
はずかしながら、スズランのことを指すなんて知らなかった。
当然、ミューゲの日の風習も。

 

 

改めて自分でも調べてみようと、
すずらん、と検索ワードに打ち込んでみたところ
思いもかけず出会ったその花言葉に、
私は再び、目頭を熱くするのである。

 

 

先生はこの花言葉を、知ってか知らずか。

いや、おそらくは。