純喫茶みかづき

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炎のブーメラン

プールにはどうやらハプニングがつきものらしい。

前回のアメリカン・チェリー事件ほどの切迫感こそないが、
戸惑いレベルは上回るハプニングがあった。

中学2年生の、水泳の授業でのことだ。

 

 

その年の体育担当は、若い男性教諭だった。
真面目でさわやかな、スポーツマンを地で行くタイプの先生だった。

 

来週から水泳の授業が始まるから。
体育館で私たちに告げる先生の声は、どこかはしゃいだ調子だった。

それでも、先生があんなパンツで登場するなんて、
いったい誰が予想できただろう。

 

  

水泳の授業、初日。

準備室の扉が大きく開き、
中から現れた先生の姿に、私たち生徒は息をのんだ。

 

 

先生の水着は、はっきり言って、はしゃぎすぎだった。

 

 

足元がきわどく切れ込んだ、実に激しいパンツだった。
先生本人よりはしゃいでた。
黒地に、蛍光オレンジやグリーンの炎が描かれた情熱的なプリントが光っている。

 

 

 モコパンだ・・・

 

 

モコパン。
それは兄から教わった、いにしえの名。ブーメランパンツの別名である。

 

 

プール中がザワついた。金曜日じゃないけどザワついた。
男子のほうからは露骨な笑い声が上がった。
女子の見学組も「やだぁ」と顔をしかめている。

しかし先生は自分のパンツがトリガーであることに気がつかない。
ワクワクを抑えきれない表情で、
さっそうとプールサイドを歩いてくる。

 

先生の笑顔は少年のようだった。
無邪気に輝いていた。
セクハラの意図はみじんもないのは、表情からも明らかだった。

 

きっと先生は、プールの授業が好きなのだ。この瞬間を待ちわびていたのだ。
モコパンをお持ちのところから考えると、もしかしたら水泳部だったのかもしれない。

生徒たちがただただドリブルしたりパスしたりシュートしたり、
走り高跳びに失敗してバーごとマットの奥へ消えていったりするのを見守る日々に、
いいかげん飽き飽きしていたのだろう。

 

先生を非難する気持ちにはとうていなれず、私は静かに見守っていた。

 

 

「今日は、平泳ぎのキックを練習しよう!」

 

 

プールの中央に張ったコースロープを隔て、
先生は男子側のプールサイドに立ち、キラキラした瞳で生徒へ呼びかけた。
続けて、プール脇につかまって並ぶよう指示した。

 

よかった・・・この状態なら先生は視界に入ってこない・・・集中できる・・・

 

自分の手元を見つめていると、ふと、視界が陰った。

 

 

おや?

 

 

 

見上げると、モコパンが私の頭上に陣取っていた。

 

 

「さあ、始めようか!」

 

 

え・・・!?

 

あの・・・この地に落ち着かれるんですか?

 

いつのまにか女子サイドに回ってきていたモコパンは、
ここをついのすみかと定めたらしい。
仁王立ちのまま、両腕を大きく使ってレクチャーを始めた。

 

「まず、足首を曲げたまま、こう、引き寄せて」

 

 望むべくもない下からのアングル。

 

「足の裏で、水を押し返すように、」

 

 先生・・・

 

「蹴る!!」

 

 私はあなたを、蹴りたい。

 

「おい・・・あれ・・・」
「あれセクハラだろ・・・」
「あいつマジヤベェわ・・・」

 

男子も動揺をあらわにしている。もはや誰も笑っていなかった。

ごめんなさい。こういうときどんな顔すればいいかわからないの。
このセリフはきっと、私たちのこの瞬間のためにあった。
果たして碇シンジはこの状況でも、「笑えばいいと思うよ」と答えられただろうか。

 

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モコパンは再度レクチャーを繰り返した。
もうパンツのプリントが邪魔して全然入ってこない。

「みんな、大丈夫かな? しっかり見て!もう一回いくよ!」

先生。

あたし、思春期。

なんつーか、小4くらいまで父や兄とお風呂入ってたし、
何か感慨を抱くとかじゃないんだけど、
でもさ、この状況でじっと見つめてるのもおかしいじゃない、と。

あいつモコパンすげー見てるぜとか言われちゃうのも、
私の社会的立場がまずいっていうか、
そういう、周りの目とかも気にしちゃう、むずかしいお年頃なんだってば。
その辺の配慮、どーなってんの、と。

この状況を3回も強いて、
しっかり見て、とか正気の沙汰じゃないわ、と。

 

その後もモコパンは、私の目の前にかがみ込み、楽しそうにアドバイスをくれた。

その日プールに入った女子はわずか3人であり、
モコパンの回転率はすこぶる良く、
じきに女子全員がモコパンの洗礼を受けた。
男子でも数名の犠牲者が出ていた。

 

 

終始モコパンに翻弄されたまま、初回の水泳の授業は終わった。

 

 

 

 

 

以来、彼は「モコパン」という屈辱的な名前でひそかに呼ばれ続けた。

 

――あれは、露出狂の一種だったのだろうか。

 

いや、私は、先生を信じている。

 

卒業式の日、変わらぬさわやかな笑顔で写真におさまってくれた先生を、私は忘れない。

 

あの日の先生の曇りなき笑顔は私の中で、強烈なプリントと共に、輝き続ける。